依存から自立へ。

saikaku2005-05-19

依存ということから、なかなか抜け出ることができない。それは、もう、人間の宿命的なことなのではないかと思う。生まれてからのこと、その、親に依存しなければならないということがある。そうでなければ、生命さえ危ない、そんな状況におかれてしまう。そんなことになってしまう。でも、最近の親は、そのようなことさえ、その、子どもを養うということさえホウキしていることが多い。或いは、虐待を繰り返している。そのことはともかく、依存していかなければならない。そのようなことからのこと、それから離れていくことが、そのことが、その、自我の確立とか、そんな言い方をされている。でも、その、アルコール依存であるとか、そのようなことも、或いは、新興集団、宗教団体、それに関わっていくこともある。その、集団の中に含まれてしまっていること、庇護されていく立場、それに関わっていくこと、そんなことになっている。また、親以外の人間に従っていくこともある。そんなことになっていく。何かに依存しなければならない、そんなこと、或いは、生活を習慣づけていくこと、時間割、そんなことに従っていくことも、何か、一つの型にはめ込んでいこうとすること、そんなことになっている。そのようなこと、そう、その、依存ということから離れていくこと、少しでも距離をとっていくこと、そのことができるのかどうか、自立の問題というのは、そのようなところにあるのだと思う。そのようなこと、依存という言葉を遣っていけば、それは、自己に依存していくということなのではないかという気がする。このように、自己からのこと、その、何か、言葉、それが浮かんで来ること、そんなことになっていく、そう、そのことがある。それを自己を表現していく、そのようなこととして感じている。そんなことになっている。自己の依存していくこと、そのようなことが、自立していくということ、そんなことではないかと思う。結局は、自分ということ、そう、でも、自己の深み、それが自分という範疇に収まっているものなのかどうか、その深淵というが、どこまでのことなのか、そのこと、疑問に思っているというか、そのようなことではなくて、底なし沼のような、そんなことなのではないかと思う。そのようなことだと思う。自己からのこと、そのこと、自己からのメッセージ、それを、このように書いていくこと、そして、自分において、その、完結していくこと、そのようなことがこれからの、そう、自分の生き方になっていくのではないかと思う。酒を呑まないこと、そんなことができるのかどうか、そう、拘りということから、何か、自分の生き方の上において、その、拘っているところのこと、そのことから離れていくこと、そのことが、これからのことなんだと思う。