2009-01-01から1年間の記事一覧

「ブッダ 最後の旅」

「それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころにして、他のものをよりどころとせずにあれ」 結局ブッダの教えとは、人間としての苦しみというのは、人に或はモノに執著していくことにある。自分の…

「幸福写真」(荒木経惟)

「内裏造らるるにも、必ず作り果てぬ所を残すなり」多く残されている、昔のノートを見る。20代から30代ぐらいものだと思う。その頃からも多くの本を、今に比べればもっと多様なジャンルの本を読んでいたことがわかる。手当たり次第に、何でもかんでもといっ…

「すらすら読める 徒然草」(中野孝次)

「吾が生すでに蹉跎なり、諸縁を放下すべき時なり、信をも守らじ、礼儀をも思はじ」植えてからまだ四五年しかたっていないのに、柿に実がなった。初夏の頃はもっと多くの実が付いていたが、最終的に3個だけが残った。台風18号の暴風雨にも落ちなかった。で…

「こどものころにみた夢」(角田光代他)

「その人の一生を決めるのは、実は便器なんだなぁ。便器を選ぶことが、そのままその人の生き方を選ぶことになる。」ものを書くとか絵を描くとか、その、表現行動というのは排泄行為に似ている。というか、そのものである。排泄するという夢を見たら、私の場…

「本を書く」(アニー・ディラード)

「『あなたがあのお話を書いたの?』・・・『それともタイプしただけ?』」それほどの違いはないと思う。意識的に書くということもあるのだろうし、無意識的に書いているときもあるのだろうと思う。そう、それほどの違いはない。まだ、自分がそうなっている…

「塩一トンの読書」(須賀敦子)

「あぁ、もっと本を読まなくちゃ!」と、書評というのでもないが、こういう本を読むと必ず思う。長田弘さんの本でも感じてきた。本当に世には一杯いっぱい本を読んでいる人がいるんだ。自分も多くの本を読んできたつもりでいるが、まだまだ知らない本が多く…

「ヒトラーとユダヤ人」(大澤武男)

ユダヤ人というのは、欧米においてはどのような受け留められ方をしているのだろうか。そのことがずっとわからないままになっている。その宗教に起因するのか、独自の生活習慣や文化を持ち閉塞的な集団を形成していると見做されいる。或は、経済界、金融界や…

『ブッダの 真理のことば 感興のことば』

少し前NHK教育番組で、片山恭一が森有正について解説を試みていた。解説自身、何を言っているのか理解できなかった。また森有正自身が何を考えていたのかも、全然分からなかった。頑張って、全集の1巻目『バビロンの・・・』を読んでみようとしたが、うむ、…

『詩を読む若き人々のために』(C.D.ルーイス)

些細なことだけど、台風18号の進路予想を見ていて、午前4時ごろだったのか、志摩半島の先まで進んで来ていて、伊勢湾の入り口でキュッと上へ曲がっている予想方向がどうにも不可解で、真っ直ぐに進んでいくのが自然だろうと思っていた。でも実際の進路は、本当…

『虫類図譜』(辻まこと)

発刊当時は、多分話題になった本なのだろうと思う。内容的には、吃驚仰天!というか、度肝を抜かれるというか、こういう本も在り得るのだろうかという、そう、当時においては新境地を開いた本だったのだろう。期待を持って見てみたが、どうなのだろう。隔世…

『老いと向き合う介護』(冨田順子)

家政婦というイメージがあるのか、ヘルパーという言葉はどうにも軽過ぎる気がする。介護というのは、身体介護や生活介助を通して、今までの人生に纏まりをつけていくということである。「影」として今までに生きられなかったところも含めて、人生を統合して…

『老人力』3

老人力ということは、結局、自分のできないことはできないこととして無理はしないということ。できるところのことだけ、好きなことだけ、続けて行けることだけ、そのようなことだけを行っていくということなのだろうと思う。若いときは、その有り余るエネル…

『老人力』?

この本を読んでいて、「介護の基本方針に利用者の今までの生活習慣を大事にしていく」ということがあるけれど、それって本当に大事なことなのかなぁと思う。自分の心身機能全体を自我と自己に分けて考えれば、生活習慣というのは、自我が自分の能力に見合っ…

『老人力』(赤瀬川源平)

前回の本にしても、なんとか最後まで読んでみようと思う。が、でも無理。面白くない。面白くないのに、屹度何かいいことが書いてあるのだろうという期待を持って読み進んでいく。が、でも無理。面白くなければ、どうにもならない。自然と放棄してしまう。若…

「『ゆっくり』の叛乱」(河野秀忠)

ゆっくりを登っていくというペースは、この夏の富士登山のときに実得した。8合目の山小屋から頂上まで普通2時間掛かるという登山道、大勢な人々の中を、ゆっくりゆっくり、半歩以下、或は爪先に踵が接するぐらいの歩幅で、更にそれ以下で、ゆっくりゆっく…

『人間、この非人間的なもの』(なだいなだ)

1年ぶりに再開する。特別な意味は無い。また始めたくなっただけのこと。この本の発行は30数年ほど前。まだ社会主義とか革命という言葉が命脈を保っていた時代だった。理想として信じられていた。「人間は、人間的である」という一文が当たり前ではなくて、そ…