『人間、この非人間的なもの』(なだいなだ)

saikaku2009-09-28

1年ぶりに再開する。特別な意味は無い。また始めたくなっただけのこと。この本の発行は30数年ほど前。まだ社会主義とか革命という言葉が命脈を保っていた時代だった。理想として信じられていた。「人間は、人間的である」という一文が当たり前ではなくて、そこにおける「人間」・「人間的」という2つの「人間」という言葉の意味が大きく変化していることに気づく。「人間」という曖昧模糊さが、「人間的」と言われたときに、レンズの絞りをキュッと縮めるような、理想的な意味に急変するのを感じる。そして、「人間は、非人間的にもなり得る」という命題が否定されないことを奇異にも感じない。「的」という漢字が付くことによって、その意味が一面的、特徴的なことへ限定されてしまう。「機械」→「機械的」、今時の平均台ができるロボットの動きは機械的なものではない。つまり、こういうことがいえるのだろうか。「Aがある。Aは、必ずしもA的であるだけとは限らず、非A的でもある」と。この思考方法が、出来事を型通りに狭小的に把握していこうとする癖を改善していくことになっていくだろう。・・・山登りも始める。まあ、いろいろと。