2005-10-01から1ヶ月間の記事一覧

これからのこと。

そう、迷っている、何も、そのテーマということを思いつかないまま、今、書き始めている、このようなことも多くある、その内に、このように書き始めていく内に、何か、テーマが顕れて来るような、そのような気がしている、問題は、これからのこと、それにな…

夢を見る。

久し振りに夢を見る、いつも見ているのかもしれないが、覚えている夢、それは久し振りのこと、そう、夢、多分、そのような夢は明け方に見ているのではないかと思う、そのようなとき、私は、もう、起きてしまっている、だから、夢を覚えているということ、そ…

問題は、来世のことではなくて、今のこと、現世でのことなんだと思う、その気持ちを強くしている、権力者に阿っているということではなくても、往生できるとか、生まれ変わることができるということを説いていくことは、まやかしということであって、そのこ…

何かが違っている。

あの世というのはあるのだろうかと、極楽というものもあるのだろうかと、往生するということもあるのだろうかと、そのようなこと、夢見させるようなことをいう、そのことは、本当にことなのだろうかと、そう、どうも、嘘っぱち、そう思える、どのような宗教…

世代間の差。

大雑把に、大人の世代、団塊の世代、と、若者の世代、その意識の違いということ、大人の感覚においては、簡単には楽しんではいけないということ、苦しいことを経て、そして、楽しいことがあるという、そのような感覚がある、労働をする、額に汗する、その後…

新しいステップへ。

最近、何か、変化しているような、変容しているような、そんな気がしている、その、他力性とはいいながら、自信を持っているようなところがある、その、唯、自分が、ということではなくて、そのようなことではなくて、只、自己を表現していくということ、そ…

昨日の問題が尾を引いている、他力性という言葉、誤解を招く、そのようなところがある、心酔していくところのこと、他者に自分の生き方を預けてしまうこと、自分がどのように生きていくのか、そのことについては判断停止状態、それになっていて、他者からの…

『ヒトラー 最期の12日間』

その映画を観る、その、日本語の題名から予想されるような、ヒトラーの最期を描いた映画ということではなくて、ドイツ国民というか、日本人も、同じ問題意識を持つことが、また、日本においても解決していない、その、狂信性というのか、総統という人間に、…

生き方の問題。

一つの形を創っていく、一週間の生活の形、それを創っていく、或いは、どのような生き方をしていくのか、その、日々のこと、その在り方、それを創っていく、只、自然なこと、自分ということ、それを意識するということではなくて、自意識、それから離れてい…

更に、他力性。

昨日は、東寺の弘法市と、国立博物館の最澄と天台展へ行く、そして、梅原猛の「最澄と空海」の本を買う、そのような一日だった、また、放念や親鸞に関係する土地、或いは、寺社を訪ねることもできる、そのようなことにもなっていくのだろうと思う、これから…

一行性。

一つのことの打ち込んでいくこと、只、念仏を唱えていくということ、そのことだけに没頭していく、そのようなこと、そのことだけを行っていく、一つのことだけを行なっていく、そう、或いは、坐禅をする、そのことだけをする、勘違いしていたこと、その、念…

自己を実現する。

自力ということを他力ということ、それほど区別をしていかなくてもいいのではないかという、そんな気がしている、区別ができないというか、そのようなこと、でも、結局は、その、自力といっても、その、自己の領域内のことなのか、どうなのか、そのことが判…

もう一度、他力性。

力を得ていくこと、生きる力を得ていくこと、そのことがどのようにして可能なことになっていくのか、西洋では、対立する、敵対するもの、それを明らかにしていく、そして、相手との、その対立関係ということによって、自分の立場、自分という存在を明らかに…

他力性について。

その、自分が生きているということ、その、身体的機能ということが、巧く働いていること、そのようなこと、自分で生きているということ、そのように思い込んでいるが、その、身体的なことについて、自律的な、というか、それと意識しないでも、その、巧く動…

他力と依存。

どうも、他力ということを、そのことについて誤解しているところがある、他者の力に依存していくという、そんなイメージを持っていた、他人の権力を当てにしていくという、そんなことにように、その文字から思い込んでいたところが合った、でも、そのような…

生き方の問題。

どのような生き方をしていくのがいいのか、そのことが常に問題として、ある、今までのことを省みると、22歳までのこと、それまでは、学生としての生き方、ヒンズー教で言うところの、学生期、それに当たっていたんだと思う、数学、或いは、物理のことを学ん…

ブラックホールへ。

今、ブラックホールへ這入って行く、というか、惹き込まれて行くというか、そのような感じがしている、親鸞という人間、そのブラックホールへ這入って行かざるを得ないような、そんな状態に居る、そう、それは、もうどうしようもないことなのではないかと、…

自力と他力。

下手に自力で遣っていく、そのようなことよりは、その、この世のこと、自分の力だけではどうにもならないことがある、運命というのか、そんなことも降り掛かってくる、或いは、時の権力者に振り回されてしまう、そんなことも起こる、自分の力だけではどうし…

言葉の違い。

その、言葉の違いということ、そのことが気になっている、どうにもそのことが、月と鼈というのか、非常に大きなこととしてあるような気がしている、相手に対して教えていけばいい、指導していけばいい、そのようなことができると、そう、もう絶対的にそのよ…

空へ。

起きる時間を2時間間違えて、今、こうして、書き始めている、でも、間違えていることに、PCを起動して、右下隅の時刻表示を見るまで全然気づかなかった、同じように起きてしまっていた、まあ、このようなこともあるのかと、その、今は、バランスがとれてい…

肩の荷を降ろす。

いつのときと比較すればいいのか分からないが、今、自分の生活の有り様をみるとき、楽というか、気持ちに余裕が持てているというのは、仕事ということと、自分自身の生活のあり方ということが、さほどの段差無く繋がっていることにあると思う、その、以前は…

雨の休日。

庭仕事をすることもできず、今、静かに、此処に座っている、何を書いていこうかと、そのことを考えながら前に座っている、このようなこともいいのではないかと、このような機会も、滅多に無いのではないかと、今までのこと、そして、これからどうなっていく…

昔は今。

昔、働いていたところの旦那さんが亡くなった、もう、83歳ということだった、久し振りに訪れる、昨日は友引だったので、通夜も本日に延ばし、ごく身内だけの仮通夜が行われた、遺体も眼も前に安置されていて、唯、自然なこととして、その場所にあった、今日…

独自性ということ。

私自身のことについて、その、独自性ということが、どのようなところにあるのかと、そのことを考えてみる、一つのこととして、その、受け容れていくこと、そのこと、本を読んでいくこと、或いは、人の話を聞いていくこと、或いは、映画を観ていくこと、その…

新しいことを始めていくことの難しさ。

元より、新しいことを拒否している、そのような人間もいる、今までの生活があった世界、そのところに安住してきたということ、何かしら、既得権益があったということ、そのことを手離したくないという、そんなことを思う、或いは、変化ということを強く反対…

親鸞を超えていく。

さあ、そのようなことができるものなのかどうか、そのこと、超えるべきところのものが、本当に親鸞なのかどうか、それもはっきりとはしていない、でも、多分、そうなんだろうと思う、そう、そのようなことなんだと思う、葬式仏教に堕落してきたところの始ま…

どうして、その、自分と同じことだと、そのように考えてしまうのだろうかと、車で走っている、前を行く車も自分と同じ目的地へ向かっていると、そのように思ってしまう、まあ、そのようなことはほとんど無いのにも拘らず、そう思ってしまう、人のこと、その…

集中していく。

今、集中するということ、そのことを、生き方の上で、或いは、物事に関わっていくこと、そのことにおいて、或いは、人の話を聞くということにおいても、その、傾聴する、そのような言葉が遣われるが、そのようなこと、集中していくこと、或いは、没頭してい…

「フィッシャーキング」

、という映画が気になっていた、以前からのこと、その映画のこと、また、そのことに関連しての聖杯伝説のこと、そのようなことが気になっていた、どのようなことだったのか、聖杯と言うものが、どのような意味を持っているものなのか、その、傷ついたものと…

図書館で。

本を借りようとしていた、書棚を歩き回り、本を探していた、そのとき、何か、啓示に打たれたような、そんな気がした、そう、自分自身のことなんだと、そのことが、何か、真実なところ、それを持って感じられた、でも、今、その実感ということは薄れている、…