もう一度、他力性。

saikaku2005-10-19

力を得ていくこと、生きる力を得ていくこと、そのことがどのようにして可能なことになっていくのか、西洋では、対立する、敵対するもの、それを明らかにしていく、そして、相手との、その対立関係ということによって、自分の立場、自分という存在を明らかにしていくという、そのようなことなのではないかと思う、相手を打ち負かせていく、対話に勝利していくということ、そのようなこと、対話ということを対立するという概念で捉えている、そんなところがあると感じる、相手との関係、その相対的な関係ということにおいて、自分の存在、或いは、相手に勝るために、生きる力、それを発揮していくということになっていく、一神教ということが、その立場を明確なものにしていくという構図になっている、それだけ、個の確立ということも重要視されていく、でも、東洋、といっても、全てそうなのかどうか分からないが、その、ブラフマンアートマンということからしても、それぞれの個の内に、その密なところ、その全体性の種子、或いは、遺伝子のようなもの、それが含まれていると、そのように考えていく、個の一つひとつの中に、その全体性の萌芽、それがあると、そのように見做していく、問題は、その萌芽、どのようにして、それを成長させていくのかどうか、そのようなことになっていく、そのこと、出芽させるためのこととして、温度、或いは、水、その条件に適うもの、或いは、芽が出てからのこと、その、光、それに匹敵するものは何なのか、そのようなことに問題は移っていく、場所からのこと、特定の場所、或いは、聖地、そう呼ばれているところの土地、そのところから、その、力を受ける、そのようなこともある、それは丁度、その種子、それが生育していくために必要な条件を備えている、そんな場所なのだと思う、根付いていくことのできる、そんな場所なのだと思う、そのようなところが、万人に共通しているのかどうか、或いは、個人だけのことなのかどうか、そのような違いがあるとしても、何か、そのようなところ、それがある、その土地との関係、その場所で、その土地の精霊と話をすることが出来る、或いは、対話、その、対立概念としての対話ではなくて、お互いのことを知り合っていく為のこととしての対話、そのようなことができること、そう、それがある、そのようなことを通して、関わりということを深めていくことによって、只、外面におけることとしてではなくて、内面、自己においても、その、自己を掘り下げていくことができるという、そのようなこと、生きる力の源泉、それを掘り進んでいくことができる、そのようなところがあるのだと思う、そのような源泉、それも、やはり、自分ということの領域内にあるのではなくて、その外にある、或いは、他にある、そのようなことなのだと思う。