他力性について。

saikaku2005-10-18

その、自分が生きているということ、その、身体的機能ということが、巧く働いていること、そのようなこと、自分で生きているということ、そのように思い込んでいるが、その、身体的なことについて、自律的な、というか、それと意識しないでも、その、巧く動いている、そんなところがある、そう、呼吸にしても、鼓動にしても、ほとんど、その、意識しないでも、そのように動いている、或いは、どのようなことを感じているのか、その、精神的なところのこと、外からのこと、そのことについて、どのようなことを感じているのかと、そのこと、同じことを受け留めても、そのことについて、どのようなことを感じているのか、それは、人それぞれのこと、違っている、そんなことになっている、その、どのようなことを感じるのか、或いは、その、イメージの発生するところのこと、その違い、それは、どのようなことなのだろうかと、イメージがどのようにして生まれてくるのか、或いは、結ぼれてくるのか、それは、おそらく、無意識ということを、その領域を通して、その、もっと奥底のところのこと、深いところのことと通じている、そのようなことではないかと思う、唯、その、人間の思っているところのこと、記憶に任せて語るところのことよりも、その、もっと深いところのことから湧いて来るところのこと、湧き上がって来るところのこと、泉のように、或いは、噴水のように、そのように、何か、それは、黄泉の国、それとも関連しているような、その、死ということと生ということが繋がっているようなところのこと、そのようなところのこと、唯、その、自由に行き来はできないように、その結合部分には、さまざまな装置、或いは、門ということが設定されているのだと思う、そのようなこと、より大きなイメージ、それを獲ていくこと、そのようなこと、それによって、人間の生活ということ、その、生の在り方ということも替わって来る、その、どのように繋がっているのか、また、そのことから、どのようなことを得ていくのか、そのことも、自分の意識、それではどうにもならない、そう、意図的に操作するということもできない、そのようなことになっている、他者性、そのようなところのことがある、或いは、そのイメージに基づいて、どのような表現が出来るのか、どのように実現していくことが出来るのかということも、また、違って来る、そう、このように書いていくこと、次に、どのような言葉、それが続いていくのか、唯、どのように書いていくのか、そのこと、只、底からのこと、どのようなことになっていくのか、任せていく、只、自分というものではなくて、只、それを表現するための管になったように、只、管になったような、そのようなことになっていく、只管に。