他力と依存。

saikaku2005-10-17

どうも、他力ということを、そのことについて誤解しているところがある、他者の力に依存していくという、そんなイメージを持っていた、他人の権力を当てにしていくという、そんなことにように、その文字から思い込んでいたところが合った、でも、そのようなことではないという、そんな感じがしてきている、このように書いていること、このこと、カウンセリングということを学習し始めてからのこと、そう、初めはノートに書いていたが、どうにも、それが追いつかない、思っていることを言葉にしていくことが、手で書くということには追いつかない、そんなことになってきて、そして、今、このようにタイプするということ、そんなことに変わってきてしまっている、まだ、手書きの方が、その、マラソンをすることよりも、歩いていくことの方が、その、ゆったりとしていて、風景もよく見られるという、そんな利点もあるが、でも、今は、このようにタイプしていくことの方が、感覚的に合っているという、そんなことになっている、書くこと、このように書くこと、そう、集中していくということになっている、このような方法によって、自己を表現していくことに、集中していくということになっている、そう、集中できるということ、そのこと、好きなこととか、そのようなことでもなくて、唯、自分の思いということを、その、このように書いていくことにおいて、集中していける、そう、そして、ときどき、一日にして、その、原稿用紙、数十枚もの分量を書いているということになっている、そう、そんなことがある、どうしてそのようなことになっているのかという、そのこと、今までのことを考えても、そう、どれだけの量を書いてきたのか、或いは、それほどの量、書くことができたのはどうしてなのだろうかと、そんなことを思う、依存するということではなくて、その、何か、今、このように書いているということにしても、或いは、歩く、お四国ということにしても、そう、唯、そのようなこととして、その時々のこととして、その、自分の意向ということ、どのようなことを書いていこうとか、そんなことを考えずに、唯、このように書いている、唯、思い浮かんでくるところのことを書いている、唯、歩いていく、何も考えずに、唯、歩いていくという、そんなことになっている、自分のことを忘れてしまっている、変に、その、自分ということ、そのことを意識してしまうと、そう、このようにタイプするということも、止まってしまう、歩くことにも、急に疲れを覚えてしまう、そんなことになってしまう、他力ということ、何か、任せてしまっていく、自己の内にあるものに、任せてしまっていく、そんなことのような気がする、他人に任せるということではなくて、自己のうちの他者性、それに任せていくという、そんな気がしている。