saikaku2005-10-29

問題は、来世のことではなくて、今のこと、現世でのことなんだと思う、その気持ちを強くしている、権力者に阿っているということではなくても、往生できるとか、生まれ変わることができるということを説いていくことは、まやかしということであって、そのことは、死ということを軽んじていくということになっていく、人の死ということが利用されていくということにもなっていく、大事なことは、今、この世界において、今の生活ということにおいて、どのような生き方をしていくのかということ、そのことが大事なことなんだと思う、耐えることを、第一のこととして教えていくこと、苦しみの後に楽しみが来るとか、そのようなこと、現世で善を積めば来世では良い様に生まれ変わるとか、それが保証されているわけではない、問題を、それこそ先送りにしているということであって、そんなことであって、そう、でも、そのようなことを信じていくという、弱さというのか、そのようなところもあるのだと思う、もう一度、その、生活のあり方、私自身のこととして、その生活の基本的なあり方、それについて、先ず、その、受け容れていくこと、そのことから始まっていく、他者のこと、その考えているところのこと、或いは、感じているところのこと、そのことを受け容れていくこと、このことは、主として、本を読む、ということ、その話を聞いていく、そのことも、むしろ、その後のこととして、そのようなこととしてあると思う、その話の内容、そのことを受け容れていく、ということよりも、話を聞くということは、只、その、聞くという行為、そのことに意味がある、そのように理解していく、受け容れていくこと、そして、そのことが、どのような反応を自己内において興しているのか、自己に、どのようなことを齎しているのか、そのこと、自己の内におけること、自己の変化、そのことを焦点を当てていく、そのようなこと、或いは、精神を集中していくこと、そのようなことをしていく、禅定ということも、この段階において、意味をもってくると思う、そう、集中していく、自己に精神を集中していくということ、外面的には、思索している、そんな姿勢として顕れて来る、そう、そのようなこと、そして、その変化、自己のうちにおいて生まれているところのイメージ、それを表現していくこと、このように書いていくことも、その、一つのこと、そして、この段階においては、早朝に起きるとか、或いは、酒を呑まないとか、その、自分からのこととして、決まり、それを決めている、それが自然なこととして、このようなことをする為のこととして、決まりが自然とできてくる、そんなことになっている、人の話を聞くということも、この行為としてのこと、そのような意味を持っていると思う、このような段階を踏んでいく、そして、より深いところの思い、それを表現していくことができていくこと、より深く、そのように進んでいく。