肩の荷を降ろす。

saikaku2005-10-11

いつのときと比較すればいいのか分からないが、今、自分の生活の有り様をみるとき、楽というか、気持ちに余裕が持てているというのは、仕事ということと、自分自身の生活のあり方ということが、さほどの段差無く繋がっていることにあると思う、その、以前は、仕事ということが、そのことが、唯、金を稼ぐというだけの意味しかなかったということでもないが、でも、そのことが、基本的なこととして、あったと思う、そのようなこと、でも、その言い方は、やはり、大袈裟というか、一方的なこと、そう、そのようなことだけではなかったと思うが、何か、その、日常の生活との段差、ということを感じていたところがあったと思う、しかし、今、そのようなことが、もっと平坦なこととして、そのようなこととして、その、仕事をするということが、普通に本を読むとか、或いは、映画を観るとか、そんなことと同じこととして、そのようなこととして感じられている、そう、人の話を聴いていくことが、同一のこととして、そのようなこととして感じられている、その、無理に教えていくとか、指導していくとか、そのようなことに拘っていくことがなくなっている、その、自分の気持ちの中に、そのようなことを無理にしていかなくてもいいんだということ、そんなことに切り替わっているところがある、ということではないかと思う、そう、だから、今、そのことも含めて、仕事をするということも含めて、その、全体として、自分の生活の在り方、そんなことが纏まっているという、そのようなことを思う、そのこと、それが、世間では苦しんでいるところのこと、そのようなことなのではないかと、配置ができない、全体としての統合が、それができない、何か、異質なことが異質なままで、そのようなことのままで、生活の中に含まれてしまっている、そのこと、嫌なことをしていかなければならないという、そんなことがいつまでも続いている、そう、そのようなことが、苦しみの種となっている、そんなことを感じる、自分自身、そのところの切り替え、どうしてできたのだろうかと、そのことを省みるに、その、本来の仕事として、その中身としてのこと、教えていかなければならないという、或いは、人の関わっていかなければならないという、そんなところのこと、本来の仕事の中身として考えられているところのこと、そのことへの拘り、それを捨ててしまっている、そんなところのこと、そのことから、何か、肩の荷を降ろしていったということが、そんなことがあるのではないかと思う、そう、どうしてもそれをしていかなければならないという、そんなことでも無くてもいいという、そのような切り替え、それが何処でできていたのか、それはわからないが、でも、今は、そのようなことになっている。