雨の休日。

saikaku2005-10-10

庭仕事をすることもできず、今、静かに、此処に座っている、何を書いていこうかと、そのことを考えながら前に座っている、このようなこともいいのではないかと、このような機会も、滅多に無いのではないかと、今までのこと、そして、これからどうなっていくのかということ、どのような生き方になっていくのだろうかと、仏教ということに、その、生き方の原理、それを求めていくことは、間違いが無いと思う、そのようなことになっていくと思う、いろいろなこと、そのことを受け容れていく、人とのこと、人間関係においても、どうしても、その、意味づけていく、そのようなことにおいて、排他的なことになっていく、或いは、差別をするということになっていく、自分の枠ということを設定していってしまう、そんなこと、そのようなことではなくて、いろいろなこと、さまざまなこと、それらを受け容れていく、そして、全体のこととして、包摂していくことができればいいのではないかという、そう、そのようなことを考えていく、或いは、実行していくということになっていくと思う、そのところのこと、そう、その、どうしても、浄土教浄土真宗という、或いは、親鸞という、その、山岳、それを超えていくことが、先ず、当面の目標ということになっている、真宗というものが、その、戒名において、人を差別していたこともあったと記憶している、そう、差別ということを招いていく、そのようなことが、その教え、それには含まれている、線引きをしていく、そんなところがある、どうしても、そのところのこと、超えていくことが必要なことになっている、心から笑えない、そのような家族もある、そう、或いは、ドラマであっても、映画であっても、或いは、本を読んでいても、何か、人間関係のあり方、それに戸惑っている、そんなところのことを、その、会話ということが成立していない、その、単に、自分のことを言っているという、自分の考えていること、記憶に残っているところのこと、そのことを主張している、そのようなことだけ、それを感じる、また、世界的なこと、その、キリスト教徒いうことにしても、排他的なところ、それを持っている、中世の時代から、そのようなことを行ってきている、イスラム教にしても、それがある、何か、宗教ということになっていくと、その、排他的なこと、或いは、そうすることによって、自分の信じているところの、その優位性、それが保証されていくかのような、そんなことになっていく、その、全体のこととして、世界的なこととして、包摂していくところのこと、そのようなことの在り方、それを思う、雨の日に思う。