昔は今。

saikaku2005-10-09

昔、働いていたところの旦那さんが亡くなった、もう、83歳ということだった、久し振りに訪れる、昨日は友引だったので、通夜も本日に延ばし、ごく身内だけの仮通夜が行われた、遺体も眼も前に安置されていて、唯、自然なこととして、その場所にあった、今日からは、メモリアルセンターというのか、葬儀場所へ運ばれていくことになる、その、一日延びたことによって、ゆっくりと対面することができた、そのようなことになった、昔は、死ということを恐れているところが、確かにあったが、また、遺体を見ること、そのようなことを避けているところのあったが、今は、そのようなこともなくなっている、ごく自然なこととして、そのようなことがあるのだと、そのようなことになっていくのだと、そのことを思う、昔のこと、その場所で働いていた、そのことも、今にして思えば、結構楽しいことだったと思う、その当時の若い衆とのこと、いろんなことがあった、いろんなところへも行った、沖縄へも行った、そして、今年、もう一度行こうとしている、そのときの経験、今は、全然別のことをしているが、でも、そのときのことが、今にしても、その、働くということについての、その基礎のところにあると思う、そう、人と話をすること、何かしら話題を見つけていくこと、そんなこともある、天気の話、そのことも、入り口の話題になっていく、そう、そのようなことから会話が始まっていく、また、その家族のこと、その当時、まだ小さかった子供であったのが、今は、同じ歳の子供抱えている母親になっていたりもする、世代が替わったということ、そう、一世代、それが過ぎたということ、そして、性格的なことも、まあ、よく似ていると、そんなことを感じていた、その有り様、家族の成り立ち、そして、世代交代していくこと、継承していくことの難しさ、そんなこともある、いろんなことが織り成されている、そう、そのようなところを感じる、そして、まあ、家族して纏まっているのか、どうなのか、これからどのようなことになっていくのか、そう、一人の人が亡くなっていく、そのことによって、核となっていた人が亡くなっていく、そのことによってどう変化していくのかと、そう、家族の問題として、まあ、何とかなっていくとは思うが、いろいろ学んでいくところも多いような、そんな気がしている、自分自身の経験、昔と今のこと、そのことを比べていきながらも、そう、大きく変わっているのか、或いは、変わってはいないのか、何か、そのようなことが渾然としているような、そんな感じが付き纏っている。