ブラックホールへ。

saikaku2005-10-15

今、ブラックホールへ這入って行く、というか、惹き込まれて行くというか、そのような感じがしている、親鸞という人間、そのブラックホールへ這入って行かざるを得ないような、そんな状態に居る、そう、それは、もうどうしようもないことなのではないかと、そこから出て来れるのか、どうなのか、引っ張り込まれておしまいということになってしまうのか、でも、そのところ、どのようなことなのか、少し、長い道を往くことになるのだろうと、そのような感じがしている、或いは、恐ろしさ、そんな気持ちも交えて、親鸞という人間との対話ということが、そのことが続いていくのだと思う、そう、いろんな本、それを読んでいくのだろうと思う、どれだけの本があるのか、まあ、暫く、そのようなことになっていく、唯、念仏を唱えていく、南無阿弥陀仏、そう唱えていく、それは、法然はそうであるとしても、親鸞の場合は違うように思う、親鸞にとって、その念仏ということ、それはどのようなことであったのかと、そのことがわからない、そう、晩年において、著作に励む、多くの著作物を残していく、そのようなこと、筆硯、それも念仏、そんなことなのではなかったのかと、文章を認めていく、そのことも、その、心の内のこと、そのことを認めていく、内省的な文章、それを書いていく、そのことも、或いは、念仏、ではなかったかと、勝手の想像している、そのようなことが、過去の経綸、そのようなことも、自分のこととして、自分の体験からきていることとして、そのようなこととして、勝手に解釈していくこと、というか、自己のこととして、そのようなこととして、でも、それが、自力ということではなくて、他力ということに、その、他力の元で、自己のこと、そのことを表現していっているという、そんな、大きな矛盾ということを抱えていきながら、そのようなことが当たり前のこととして、そのようなこととして生きていっているという、そんな感じがしている、確かに、人間として、その、魅力を感じている、そのような中へ這入っていくこと、そう、もっともっと、その、在り方、単に思想的なことだけではなくて、実践的なことも、そのことも当然のこととして、どのようなこと、その全体のこと、そのことを、どちらにしても、親鸞という人間のこと、そのブラックホールにも似たような存在を通っていくこと、そのようなことが、これからのこととして、必要なこと、どうにも避けられないこと、そんなところに居る、大きな山の前に佇んでいる、そんな状態に居る、どうにもこうにも、そう、少しずつでも、まあ、登り始めて行こうではないかと、そう、そのようなときの気持ちに似ている、どのような眺望が開けていくのかと、そのことを愉しみに。