世代間の差。

saikaku2005-10-27

大雑把に、大人の世代、団塊の世代、と、若者の世代、その意識の違いということ、大人の感覚においては、簡単には楽しんではいけないということ、苦しいことを経て、そして、楽しいことがあるという、そのような感覚がある、労働をする、額に汗する、その後に楽しいことが待っている、そのような感覚がある、或いは、自分は楽しんではいけないという、そんな禁止令、それを暗黙のうちに抱いていること、そのようなことがある、だから、ストレートに、若者の中に入っていく、そして、同じように楽しんでいくということが、そのようなことができにくい、そんな状況になっている、そのように感じる、何か、怖さを持っている、そんなように思っていたが、そのようなことではなくて、生活感覚の違い、若者は、その、ストレートに楽しんでいく、そのことを求めていくような、そんなところがある、楽しくなければ、それを受けるに値しない、そのことを実行していくことに値しない、そのようなこと、一方、上の世代では、働くということ、それ自体、苦行ということであって、そのことを経て、ある程度、その、楽しんでいくという、分け前がもらえるという、そんな感覚になっている、そのような時代を経て来ている、そのようなことがあったという、耐えてきた時代があったという、そのようなことが原因しているのかもしれないが、でも、その、禁止令、そう、そのようなことが根強くあるという、そんな印象を持っている、その、働くそのもの、今の私にとっても、そのようなことではなくて、働くそのもの、それについて、楽しんでいくという、何か、楽しみを見つけていくという、働くこと、そのものを苦行であるという、そのようには捉えなくなっている、そのような感覚からは離れていっているという、そのように思う、人の話を聞いていくこと、何か、その、関わりをもっていくということ、その、直接的な支援ということではなくて、そのようなことではなくて、只、その話を聞いていくということ、そのようなことでいいという、そんなことになっている、その、自分を、その、楽しんでいこうとする、苦行と捉えるということではなくて、その、その中においての楽しいところ、それをそのままに、楽しんでいく、相手に対して変更を求めていくということもしない、そのようなことはしない、只、それとして楽しんでいくこと、そのような在り方、ストレートに楽しみということへ這入っていく、或いは、楽しい状況へ、同じようなことであっても、そのような状況へ替えていくこと、そのようなこともできると思う、勉強すること自体、そう、苦しみということではなくて、新しい自己を発見していくという、そのような楽しみとして感じていくこと、そのようなこと、その違い、大きなものがあると思う。