「『ゆっくり』の叛乱」(河野秀忠)

saikaku2009-09-29

ゆっくりを登っていくというペースは、この夏の富士登山のときに実得した。8合目の山小屋から頂上まで普通2時間掛かるという登山道、大勢な人々の中を、ゆっくりゆっくり、半歩以下、或は爪先に踵が接するぐらいの歩幅で、更にそれ以下で、ゆっくりゆっくりを心に念じながら登っていった。その結果、頂上で御来光は見えなかったが、1時間半ほどで辿り着いた。どうしてそうだったのだろうと不思議に思った。そのことが自分にとっては本当に驚異的なことだった。コペルニクス的転回にも匹敵する。兎と亀ではないが、ゆっくりと行くことの方が「速い!」という、逆説的なことを会得できた。スローライフともいうが、肝心なところは、自己のペースに合わせていくこと。文章を手書きするときにも、一字一字、或は、一画一画まで、得心をしながら書き進めていくということ。そのような姿勢が、結局は速く進めていくことができる、また遠くまで往けることになる。本当に逆説的なことだ。