「塩一トンの読書」(須賀敦子)

saikaku2009-10-14

「あぁ、もっと本を読まなくちゃ!」と、書評というのでもないが、こういう本を読むと必ず思う。長田弘さんの本でも感じてきた。本当に世には一杯いっぱい本を読んでいる人がいるんだ。自分も多くの本を読んできたつもりでいるが、まだまだ知らない本が多く多くあるんだ。別に追い付くというか競うというか、そんなことでもないが、まだまだ読むの値する多くの本があることを知る。また、今まで読んだ本でも、「あぁ、そんなふうに読んでいくことも出来るのか」と、自分と共に成長していくというか、深化していくというか、そのように感じる本もある。それには、何回も読んでいくということに意味があるのだ。難しいことだ。此処へ来て、生活二分法が可能ではないかと思える。今まで〈本を読む〉ことと〈ノートに書く〉ことを交互に繰り返してきた。その、二分割ということ、極めて単純に、午前中は〈ノートに書く〉+午後は〈本を読む〉。そのように生活を二分割していければスッキリとするのにと、常々思っていた。どうなのだろう。愈愈、可能なことなのではないかと思う。人と競うということではなくて、唯自分だけのこととして、その充実していくためのこととして、そのような生活の在り方を創っていこうと思う。