記憶が消えていく。

saikaku2005-05-18

そのような映画を観ていた。だんだんと記憶が消されていくこと、そのようなこと、それも、脳科学の発達ということと関連しているのかと、脳神経の働き、記憶ということがどのようなことになっているのか、もう、そのようなことも解明されていることになっているのかと、そのことに基づいて作られている映画何かと、そんなことを感じていた。最近の映画は、その、筋が初めから終わりまで一貫しているというような映画よりも、回想ということでもなくて、その、場面が行ったり来たりしていて、観客の方で、そのストーリーを組み立てていくということになっている。コラージュのように、ばらばらなもので、そして、それを一つの映画に創っていくことが、その、観客の仕事ということ、或いは、それも、人それぞれで替わっているのかもしれない。その繋ぎ方、そのことが人によって違っているのではないかという、そんな気もする、そう、そんなことになっていれば、それもまた面白いことなのではないかと思う。でも、そのことは、そう、普通のことなのかもしれない。人の話を聞いていくこと、そのことも、ストーリーが一貫しているということではなくて、その、パケット通信のように、そのように分解されていて、そして、そのことをもう一度、その、繋ぎ合わせているという、そんなことになっているのではないかと思う。そんなことになっていれば、それも面白いことだと思う。自分が考えていること、その自分の世界ということ、それも独自なモノになっていくのではないかと思う。そのようなことに自信を持っていくことを、そう、確かに、自信を持っていくこと、それでいいのではないかと思う。記憶が消えていくこと、そんなことになるのかどうか、そんなことになっている。そのようなことによって、何か、新しい、そのようなことが受け容れられていくということになっていく。古いことを捨てていくこと、そんなこと、そして、新しい人間関係ということが、或いは、男女関係ということが、そのことも始まっていく。そのようなこと、柵、それに囚われているということではなくて、その、多様なこと、そんな人間関係、或いは、一つひとつのこととして、その関係性ということを深めていくこと、そのようなことでいいのではないかと思う。そのこと、話し合い、そのこと、結局は、そのことになっていくのではないかと思う。そう、自分のこと、その真実のこと、そのことを伝えていくこと、そんなことになっていく、そんなことでいいのだと思う。もう一度、昔読んだところの本を読んでいく。もっと考えていたことがあったのに、でも、今読むと、それほどのことでもなくなっている。何か、そのことの齟齬、それが面白いことでもある。そう、面白いこと、そのことを求めていく。