また、後戻り。

saikaku2005-05-17

同じことを繰り返しているのではないかと思う。そのことがある。別に、そのことを嫌がっているということではないが、試行錯誤、そう思えることもあるが、でも、何回も何回も同じことを繰り返して、結局は、前の状態に戻ってしまっている。そのことがいちばん合っているのかどうか、多分、そのようなことなのだろうと思う。読むことと書くこと、それを区分していくこと、その明確さがいいのではないかという、そんなことになっていると思う。心の切り替えということ、そのことが出来易いということなのではないかと思う。そう、同じことを繰り返している。まあ、いいと思う。でも、結局は、その、いろんなことを試みているということであって、必ずしも、同じことにはなっていないという、慰めにも似た気持ち、そんなところもある。まあいいかと、今は、そう思っていく。単独のことではなくて、その、いろんなこと、その話、いろんな人の話、そのことを聞いていくこと、そして、そのことを総合していくこと、大きくなくてもいいのではないかと思う。いろんなこと、多様性、そのことを信じていく、そして、そのことを統括していく、何か、そのことから顕れて来るモノを待っている。真実なところのこと。何か、その、自分が信じているところのこと、今まで思ってきているところのこと、まあ、そんなことでもいいが、新鮮味はない。同じことなのかという、そんなことで終わってしまう。聞き飽きている。自分にとって意味のあるところのこと、そのこと、何処にあるのか、自然なこととして、そのことを感知していく、何か、そのことはわかっていく。そう、そんなこと、受け容れていくことにおいて、多くのこと、そして、自己の内からのこと、そのことを表現していくこと、そのことを繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせている。そんなことをしている。ただ、危機感を煽るということだけではなくて、そんなことだけではなくて、前向きの発言という言い方もするが、何か、その、真実と思えるところのこと、心の内から顕れて来るところのこと、そのようなことを表現していくこと、そんなことの方が、何か、新しいモノを創造していくことに値する。でも、それに反する、ただ、独り善がりの、そんな言い方が溢れている。何か、そう、そんなことの中で、玉石混交の中で、自分にとって意味のあるところのこと、そのことに出逢っていくこと、そのことが楽しみなことであると思う。もう、人のこと、他者のことを非難するとか、そんなことは、もうどうでもいいと思う。そんな暇があれば、自分自身のこと、自己を表現していくこと、或いは、受け容れていくことに、そんなことに自己を成長させていくことに、時間を費やしていく。そのように考えているだけでも、単に、後戻りしているとは言えないのかもしれない。単なる慰めではなく。