量から質へ。

saikaku2005-09-05

人の癖はなかなか治らない、生活習慣というものも、なかなか変えていくことができない、スポーツでの癖、打ち方の癖、それも、一度そのようになってしまったもの、それを変えていくことはなかなかできない、そのようなことになってしまっているという、そのようなこと、その、打ち方の癖、それを変えていくためのこと、それは、その、量的な、数をこなしていくという、そんな練習、その、どのような打ち方がいちばんいいのか、それは、その人に合ったところのこと、それを発見していくこと、それは自分自身のことにもなっていくと思う、自分自身のことを識っていくということにもなっていくと思う、そのようなこと、多くのこと、出来るだけ多くのこと、そのこと、その、量的なことから、何か、自分自身にとっての、質的な変化、そんなことが起こって来るのではないかと思う、相転移、そんなことが起こって来るのではないかと思う、そんなことを思う、多くの本を読んでいくこと、或いは、映画にしても、その多くの作品を観ていくこと、そのようなことによって、目が肥えて来る、そんなことが起こって来る、何か、その、本質的なところのことが分かってくるという、そんなことなのではないかと思う、何処でそのような転換が起こって来るのか、そう、それはわからない、予測できない、そんなところもあるのではないかと、こうしていけばこうなっていくという、そのようなことは分からない、でも、その、量的なこと、そのことをこなしていくとき、その過程において、何か、今までとは違うところの変化、それを感じていくことができるのではないかと思う、歩くということにしても、多くの距離を歩いていくこと、そのようなことによって、その、足の裏の変化、その、地面を踏むその感覚、それが違って来ているという、そんなことを思う、自分自身の内に起こって来るところの変化、心の内の変化、或いは、脳内の変化、といった方がいいのか、或いは、その、身体的な変化、そのようなことが起こって来るまで、その、外へ向けてのこと、多くのことを引き受けていくこと、多くのことに触れていくこと、経験を積んでいくということ、場数をこなしていくということが、そのことが大事なことなのではないかと思う、そのようなことを思う、この世界のこと、或いは、宇宙のこと、その全体のこと、そのことを包摂していくということは、そのことは、密教的なことであって、そのことによって、その、自分自身のこと、或いは、脳にとってのこと、その、宇宙での全体のことを、脳の変化に置き換えていく、そんなところのことを目的としているのが、何か、空海の生き方ということではなかったかと、そんなことを考えている。