ゾウリムシも苦しむ。

saikaku2005-12-03

どのように考えていけばいいのか、小学校1年生の女の子が殺される、その子自身の苦しみ、また、周りの人たちの苦しみ、或いは、悲しみ、それをどう考えていけばいいのか、と、大震災によって死んで逝った多くの人たちの苦しみ、また、残されたものの悲しみ、それをどのように理解していけばいいのか、震災後、その被災者に対しての、学校でのボランティアの活動を聞く、今まで、不登校であった生徒が甦った話を聞く、そのようなこと、震災は、唯、地面を揺り動かしただけではなくて、人の心をも動かしたということ、そんなこともある、そのことに、何か、意味を見出していく、ナチの強制収容所、その中においても、生きることの意味を見出していくことが、どんな場所に置かれていて、そこに、生きる意味を見出していくことができるという、そんなこともある、天災、人災、そう、そのようなことが起こる、天災なら、その、まだ、仕方の無いと、そのようになっていくのかもしれないが、でも、人災、他人に殺される、そのようなこと、どうして、ということになる、そのこと、相手のことを罰していく、そのようなことによって、無念を晴らすとか、そんなこと、でも、無念が、本当に晴らせるのだろうかと、でも、何か、対象を求めていく、そんなことに、打ち付けていく、そんな対象を求めていく、そのようなことになっていく、その、苦しむということ、そのようなこと、仏陀の時代からのこと、紀元前からのこと、そのようなことがある、そもそも、生きるということ自体が、その、苦しみということをはらんでいる、そんなことなのかと、その、生きるということ、独りで生きるということ、生まれてくるときも独り、死んでいくときも独り、そのようなことの中に、その、もう必然的なこととして、苦しみということが含まれている、そのようなことなのか、ゾウリムシも苦しんでいるのかと、天災であっても、また、人災であっても、でも、災難を避けていく、その努力は必要なこと、それはできる、耐震工事、それは行わなくてはいけない、でも、それであっても、どんな災難が降りかかってくるのかは、それは分からない、そう、それは分からないことなのだと思う、だから、苦しむものとして、そのようなこととして、その苦しみ、そのことから、意味を見出していくこと、或いは、苦しむということに、そのことに、何か、再生への、そのヒント、或いは、萌芽、それが隠されているのではないかと思う、そのことに、生きる意味を見出していく、何か、新しい生き方が始まっていく、そう、そんなことを感じる、しかし、その芽が、新しい可能性を秘めた芽が、それが成長していくためには、ただ、その、独りでいる、それでは無理なんだろうと思う、その、誰か、見守っている、或いは、水、それを降り注ぐ、そのような存在、それが必要なことなんだと思う、或いは、そのようなことが、慈悲、と言われているところのことなのではないかと思う。