自然に言葉が出て来る。

saikaku2005-12-02

此処へ書くということ、このことにしても、今、私が思っていることを書こうとしているのではなくて、その、自然なこととして、内側からのこととして、ただ、私を通って、内側から出て来る言葉、というのか、顕れて来るところのこと、それを言葉にしている、言葉に翻訳しているのは、それが、私なのかもしれないが、ただ、そのようなこととして、書いている、というか、タイプしている、そんな感じになっている、ただ、今、顕れて来るところのこと、それを言葉にしている、それだけ、表現するという、その、意図的なニュアンス、それも消していく、そう、そのような方向にあると思う、そこに、何か、ある芳香、それが立ち顕れて来れば、もっといいのかもしれないが、今までのこと、カウンセリングを学習し始めてからのこと、ロジャーズから始めて、そして、だんだんと進んできたのか、その、相手の話を聞いていくということだけではなくて、それと同時並行的に、自己の話を聴いていく、実際のこととして、そのようなことになっていたと思う、ただ、相手の話の内容を理解していくということではなくて、よく聞いていくということだけではなくて、自分自身のことについても、別に、その、触発されていくということでもなくて、共鳴していくということでもなくて、よく言われるが、まあ、分かったような分からないような、そんなことではなくて、ただ、相手の話を聞いていくことが、自己の話を聴いている、そんなことになっている、ただ、その、自己の核心部分、隠れていたところのことを聴いていくように、それに焦点を当てていくように、相手の話を聞くということにおいても、表面的なことではなくて、ただ、事実関係というか、そんなことでもなくて、こんなことを経験しましたということでもなくて、そんなことでもなくて、その、核心的なところ、というのか、真実に思われる、そんなところ、その、心の地下の世界のこと、そのようなところ、そして、それをだんだんと降りていく、そんなこと、その、ただ、地上の世界での話、それは、面白くない、そう、地下の世界への降り口、そこから這入っていくこと、そんなこと、それを聞きたいという、そんな姿勢だったと思う、ただ、そのようなところのこと、同じように、その、自己とのことにおいても、自己、ということ、それ自体も、地下何階の世界のことなのだろうかと、そして、だんだんと、その、降りていくことによって、トランスパーソナルな世界へ踏み込んでいくということに、そんなことになっていると思う、でも、何か、それも、眉唾物のところがあって、でも、真実なところもあって、今、本屋に氾濫しているところのことも、新興宗教も、そう、避けていく、その、間違えやすい、或いは、踏み外してしまうところ、簡単に外れて行ってしまうところ、それがあるんだと思う。