3つのルート。

saikaku2006-01-14

何か、纏まりのつかないことになっている、心の内で、納得できないことになっている、というか、混乱している、波乱含みのところ、どうしていけばいいのか、もう少し、その、落ち着くことができるのではないかと、基底状態、それへ遷移していくことができるのではないかと、そんなことを感じている、そう、そのようなことになっている、何からしていけばいいのか、その、混乱しているといっても、このことから、次の段階へ進んでいくということにおいて、その、大事なときなんだという、そんなことも意識している、一時的に落ち着いているという、そんなことになっていても、その、何か、違っているというところが、その、巧くいかないところが出て来る、そんなことになっていく、そう、そのところが拡大していく、そんなこと、目的は、自己について識ること、そのことにある、それにいたるルートとして、3つの道があると、そのように思う、哲学についてのこと、そのことがある、それを、今、空海の著作、それを訳したものというか、そのようなところから、そう、考えていくということをしている、もう一つ、物理、或いは、数学からのこと、自然ということを対象にしているという、或いは、対称、という言葉のほうが相応しいかと、自然そのものということではなくて、自然にあるもの、それが、心の内に映し出しているところのこと、自己の心の内、その対称として映し出しているところのこと、そのことを表現していくということに、そんなことになっていく、それも、自然ということを媒介として、自己について識っていくということ、そんなことになっていく、そのようなこと、その、数学、或いは、物理、その本を読んでいくということから、また、空海の本、それについて共通していえることは、今までの本の読み方、それでは、巧くいかない、そのところから、混乱が始まっている、そのことについて、替えていくこと、そのことが求められているという、そんな感じがしている、どのような読み方がいいのか、その、読みながら考えていく、読みながらそのときどきのことを表現していくという、そんなことになっていくのではないかという、読みながら書いていく、そのことを同時並行的に行なっていくことになっていくのではという、そんな気がしている、そう、そのようなこと、そのように思えば、このように書いていること、その、何もなく、ただ、自己の内からのこと、その言葉を書き留めているということも、或いは、自己について読んでいる、自己の内の動き、それを読んでいる、そして、そのことについて、同時並行的に書いているという、そんなことをしているのではないかという、そう、もう実行しているという、原型はあるという、そんなことになっている、哲学、自然、時事的社会、そのルートから、自己について識るという、その頂上なのか、深海なのか、それに向かっていくという、そんなイメージがある。