『光と物質のふしぎな理論』2

saikaku2006-02-28

本を読むということ、そのことが今の生活の基本的なところのことになっている、そのことにおいて、一冊の本、それを読み進めていくこと、最後まで読み進めていくこと、そのことを更に基本においていく、そのようなことをしていく、何か分けて読んでいけばいいのではないかという、そんなことを考えていた、でも、そのようなことを考えている時点において、その意欲、それが減退しているのではないかと思う、ただ読み進めていくことができる、その著者の考えているところのことを受け容れていくことができる、そのようなことでいいと思う、そのような読み方をしていく、厚い本薄い本、そのことには関係していない、読み通していけるのかどうか、そのようなこと、そのことが前に進んでいく力を与えてくれるのだと思う、そのようなこと、人間関係のこと、どうしようもないことなのかと、相手は最高のものだと、そのように捉えているに違いない、そう、そのことによって自分の選択眼が素晴らしいものだったのだと、そのように思っているに違いない、そう、でも、自分は違っている、そのようなところのこと、元からそのような評価しかしていなかったのかもしれないが、そのようなこと、その、人間性の違いということ、そのこと、どうしようもないことなのかもしれないと、ただ、そう、そのような人間関係に苛立つということは、何かしら、自分の内に、相手のことを、その評価、或いは、考えているところのことについて、優位性、それとともに、相手のことを変えていける、そんなところの力が自分の内にあるのではないかという、そのような思い込み、自分自身に対しての思い込み、それがあるのだろうと、そう、人間関係ということに期待を寄せているところのこと、それがあるのだろうと思う、そう、相手のことを変えていく、そのようなことではなくて、ただ、自分自身のこと、そのことを替えていくこと、それでいいと思う、というか、そのように切り替えていくこと、そのことが、ただ、私自身のこと、本を読んでいく、そのことにおいて、継続して読み続けていける、そのような本を求めていく、同じようなことなんだと思う、そのようなこと、自分自身のこと、学んでいける、そのようなところのこと、人間関係においても、その、何か折り合えない、そのようなところが感じさせる、そのようなことであれば、否定するということはしないまでも、その、ただ、それだけのこととして、そう、並行していくところのこととして、そのようなこととしてあるのだと、ゲシュタルト、その言葉、誰かの言葉があったと思う、まあ、そのようなことで仕方のないのだと、そのようなこととして、もう一度、自分の仕事ということ、そのことを再確認していく、こんなことでいいのではないかと思う。