『ヴェニスの商人』

saikaku2006-02-27

もう一度、自分自身の仕事、自分自身のこと、そのことを静かに始めていく、そう、そのようなことでいいと思う、その、仕事場においての他者との関わり、そのようなことも、その、無理なこと、そのようなことはしていかない、と、性格を変えていくということが無理ということよりも、そのことが障害としてあるのではないかという、そのようなことも感じる、性格ということなら、その、ソフト面のこと、そのようなことなら、或いは、変えていくこともできるのかもしれないが、もう少し根の深いところのこと、そのようなことにも思える、そう、そのようなこと、無理なこと、難しいこと、どうしても、相手のことを替えていこうとしていく、或いは、指示を与えていくことをしていく、そのようなことによって、何か、自分の存在ということ、そう、そのこと、存在感を持つというか、存在価値が在るというか、そのようなことを確認していく、まあ、そのようなことでいいのではないかと、自分自身のこと、そのことを静かに始めていく、もう一度そのところのことに立ち返っていくということ、そう、そのことをしていく、何か、自分を見失っているところのことのように、何か、その、自分自身も、そのような状態へ落ち込んでいたという、そんなことを感じる、そのように惑わせること、そのようなことも、或いは、落とし穴ということも、そのようなことも、そう、多いのかもしれない、自分自身のことへ、そう、自分自身の仕事ということへ専念していく、昨日の日経の裏面の記事、子供を本好きにするのはどうしたらいいのか、答え、端的に、親自身が本を読むこと、それを好きになっていく、それだけのことだと思う、言ってもわからない、また、反発するというのが、その、人間の常、そのことよりも、何かに集中しているところのこと、そのことの方が、そのような生き方のほうが、そう、いいというか、別に、そのこと、他者への影響ということを忖度することはなくて、そんなことを気に留めずに、ただ、自分のこと、そのことを行っていくこと、それでいいのではないかと思う、午前と午後、基本的に本を読んでいく、そして、正午、また、夜の時間、纏めていく、全体のこととして、その、相を掴む、そのような想う時間、それを設けていく、そして、早朝には、何もなくて、ただ、自己を表現していくということで、そのようなことでいいと思う、自分の信念というか、ただ、そのようなこととして、そう、むしろ、シャイロックのほうが哀れむべき人間であるかのように、キリスト教徒のほうが、小賢しい人間であるかのように、或いは、信念を持っていない人間であるかのように、テクストの読み方、そのことによって変わってくる、そのようなところ、何か、その意図に嵌ってしまっているのだろうがと。