『十牛図』

saikaku2006-03-18

巧くいかないこともある、競合すること、そのようなことがある、辞退する、特別支援教育への、そのプログラムへの参加を辞退する、まあ、そのようなことになっていく、そして、次のことを考えていく、障害児教育、それへのこと、まあ、無理なのかもしれない、というか、縁がないというか、そんな感じがしている、次のことを考えていく、その、怒りを感じるとか、そのようなことではなくて、相手のことを批判していくということでもなくて、その、自然の流れのこと、そのことを、自然というものが、その本質的なところのこととして、その、変容する、そのことを持っている、人間としてのこと、人間は、拘る、固定していくという、変化することを恐れていく、リスクをとるということ、それは、変化していくことを前提としている、どのように変化していけばいいのかということ、そのことは、自然から学んでいく、学ぶということ、そのことは、自分の内側のこと、内界のこと、そのところに芽生えてくるところのことがある、内側の世界、それを創造する、ナルニア国のように、そう、創造していく、学ぶということは、内面的なこととして豊かなものになていくこと、そして、変化して続けていくこと、そのようなこと、何か、一つのプログラム、それに参加していく、それに固定化していくということではなくて、もっと自由なこととして、その、自分自身のこと、そのことを考えていく、多分、第八図、それから始まっているのではないかと思う、牛を探しに行く、後を見つける、姿を見かける、そして、捕まえる、そして、牧していく、馴らしていく、乗っかって行く、家へ帰る、そこで止まる、そのときのこと、それからのこと、止まってしまう、それで一段落、それからのこと、どうして行くのか、もう一度、その、自然の流れ、それに帰っていくのかどうか、疑問に思っていたこと、第十図での二人、どちらが、それまでの人なのか、そう、もう一度、牛を探しも右の人に代わっているのか、或いは、布袋のような、そのような人間に代わっているのかという、そのこと、そのことがわからなかった、そう、今思う、自然のこと、その変容していくということを、そのことを自分の内側のこととして、そのことを受け容れていくこと、自分のこととして組み込んでいくこと、そのようなことを死ていくことができれば、左に人、その、止まる、停滞する、そのことになってしまえば、右の人、また、同じことを繰り返していく、その、自然の変容、それを組み込んでいく、独りの人の中にも、その要素があるという、そのことは、何か、ブラフマンアートマンの関係ということを、そのようなことを考えさせる、そう、そんなことなのではないかと思う、停滞しないこと、その、自己変革ということ、日々のこととして、そのようなこと、それが、或いは、行としてのこと、そんなことを思う。