『さいごの戦い』

saikaku2006-03-17

生活上のことで問題が起きて来る、その、読むことと書くこと、或いは、受け容れていくことと表現すること、そのことにバランス、それが崩れてくる、そのようなとき、酒を呑もうかという、そのような気持ちが動き始める、疼き始める、酒を呑むという、そのような気持ちが起こったとき、逆に、生活の再点検していくこと、その必要性があると、そのようなことを思う、新しく学んだこと、そのようなことなんだと思う、今、メモが溜まっている、多くのこと、本を読む、人の話を聞く、そのようなことについてメモをしていく、そして、それが溜まっていく、バランスの崩れたところのこと、このように書いている、この時間を1時間と制限したことにあると思う、今、そのことをもう一度考え直していく、時間枠を儲けていくこと、それも必要なことがある、その時間枠の中で人の話を聞いていく、或いは、書いていくこと、その、集中するということ、そのことを大事なことと考えていくのなら、その、枠を設けていくことが必要、でも、何か、自己を表現することにおいては、中途半端なことに終わってしまっている、バランスが崩れるということよりも、その、自己のことが十分に表現できないという、そのことに苛立ちを覚えているのかもしれない、それが、酒を呑む、そんなこと、そして、いい気持ちになって忘れてしまおうと、紛らわせてしまおうと、そんな衝動になっていくのではないかと、そんなことを思う、今、もう一度、この時間のこと、午後からのこと、そのことについて、何を感じていたのか、そのことについて、その、時間制限ということを設けずに、十分に、十分すぎるぐらいに書いていくこと、表現していくということを行っていく、そして、午前中のことは、正午からのこと、そのとき、十分に書いていく、それでいいのではないかと思う、そう、そのようなことをしていく、以前、ナルニア国物語を読んだ、そのときからの大団円として記憶していることと、もう一度読み終えた今、そのことが、その記憶と大きく違っていることが、どうにもおかしく感じられる、自分の記憶が間違っていたということ、その記憶の不確かさ、それを嘆いているのではなくて、自分を悲観しているのでもなくて、その、記憶の改変、そのことが面白く感じている、確かに、まったく違っているということではなくて、要素は含まれている、確かに、そう、含まれている、そのことを含みながらも、改変されているということ、そのこと、自分の中で、その、記憶が書き換えられている、そのようなことがあるということ、面白いことだと思う、自分はこうと記憶しているということ、その確実性と、自分に対しての信頼が失われるということではなくて、記憶においても創造しているという、そのことをもっと前向きなこととして、そのようなこととして考えていく、そのこともできるのではないかと、そう思う。