『毎日をちょっぴりていねい暮らす43のヒント』

saikaku2006-03-20

問題は、特別なことをしていくということでもなくて、その、毎日の生活ということ、そのことを丁寧に、そう、きちんと、その、苦行というほどのことをしていくということでもなくて、でも、修行をしていくような、そのようなこととして考えていくこと、習慣づけていくこと、そのようなことが大事なことなのではないかと思う、受け入れていくということを、そのようなことをしていく、本を読んでいくということでもあり、また、人の話を聞いていくということでもあり、また、映画やビデオを見ていくということ、そのようなこと、受け入れていくことをしていく、そして、そのようなことからどんな変化が自分自身のうちにおいて生じているのか、そのことを恐れない、そう、自己のうちに起こっているところの変容、それを恐れない、そのようなこと、それでいいんだと思う、でも、中には、人として、そのようなことを恐れている、そんな人がいる、自分というのはこのような人間なんだと、その栄光に包まれているかのような、そのことに浸っているところにいる人間、浸り続けていくことを求めているかのような、そんな人間がいる、変化していくことを恐れている、そして、生活習慣病ということを惹き付けてしまう、そんなことになってしまう、或いは、固定化していると思い込んでいる権威ある者、それに依存していくということ、依存症ということに、そのようなことになってしまう、そう、そのようなことではなくて、生活のこと、毎日の生活ということにおいて、その、自己の内に起こっている、その、自然なこととしての、万物が流転していくということ、そのこと、自分の内部においても起こっていることとして、そう、そのことを引き受けていく、或いは、そのことを表現していく、変化していくということを、そのことを表現していく、表現するということ、その変化、それを固定化していくこと、だから、その、表現したということにも依存しない、自分はこんな画期的なことを考え出したのだということに、そんなことにも依存しない、変化するということを、そのことを、絶えず、そう、絶えず求めていくということ、そのような生き方になっていく、だから、その為のこととして、毎日の生活、それを丁寧に、きちんとしたものにしていきたいという、そんなことを思う、そう、そのようなことに、或いは、シンプルに、そのように、その、変容ということと、その、固定化、そのこと、その繰り返し、何か、そのことをイメージするとき、そのイメージを明確にしていくとき、なぜか、その、波動性と粒子性ということが、その関連、粒子性ということは、固定化していくこと、そんなことなんだと思う、その、心のうちの、その変容としての、モヤモヤとしたところのこと、それを明確にしていくこと、その行ったり来たり、何か、それは、物の存在にも関わっているのではないかと、そんなことを想像している。