『日経Masters4月号』

saikaku2006-03-23

4つのことを行なっていく、4つの門を通して受け容れていく、そのようなことをしていく、そして、今、このように書いていく、自己を表現していく、このようなこと、このこと、自分では哲学をしているとか、そんなふうに思っているところがある、生き方の問題、それを考えている、そして、自己を表現していくことの大切さ、それがこのことなんだと、そのようなことを思っているところがある、でも、別に、そのようなこと、哲学をしているとか、そんなことではなくて、ただ、このようなことをしていきたいという、そんな気持ち、ただ、それがあるだけのことなんだと思う、このことによって、何がどうなっていくのか、ただ、自分のこと、人間性ということが、あわよくば、いいように変化していく、成長していくというか、深化していくというか、そんなことになっていくということ、まあ、そのようなことを期待しているということであって、この行為が、この全体を通しての行為というものが、その、哲学ということ、その範疇のことであるとかないとか、そんなことは関係のないことであって、ただ、このようなことをしていくことが、自分にとって必要なこと、そう、必要性を持っているという、内的必然性を持っているというだけのこと、そうなんだと思う、そして、読みたくもない本を読んでいく、そのようなことが起こる、そう、前の『十牛図』、それがそう、以前は読めた、どうにかこうにか、そんな感じだったと思うが、どうにか読めた、そう、だから、今回も読めるはずと、そんなふうに思い込んでいるところがある、井上ひさし、その本も読めた、だから今回も読めるはず、そう、でも、その、読めるということと、読みたいと思う、そのようなことは別のこと、読みたいと思う、そして、そのことから、何か、その、意味のあるところのこと、自己を表現する、そのことに繋がっていくところのこと、それが得られるのかどうか、問題は、そのことにあるんだと思う、そんなことにあるんだと思う、その、読めるはずなのに読みたくない、でも読んでいるというとき、その反動として、酒を呑みたいという、そんな気持ちが起こってくる、それが、そう、一つのバロメータ、そんなことになっていく、ただ、その、私自身にとって、4つの門、それを通して受け容れたこと、そのことについて思っていること、感じていること、そのことを、このように、ただ只管に書いていくこと、自己を表現していくこと、楽器を演奏するように、キーボードをタイプしていくこと、このことが自分の生き方としてのことで、そう、それがどのような言葉で言われようとも、関係のないことで、ただ、このようなことを行っていくことが、自分にとって必要なこと、それだけのことにしか過ぎない。