『ねじまき鳥クロニクル』4

saikaku2006-04-25

仮説を立てることの意味が、そのことの必要性が実感されている、本を読むということにおいて、何か思いついていること、そのようなことも全て仮説をして考えてもいいのだと思う、そのような思いつきこそ書き留めていくべきことなのではないかと思う、そして、夜の時間、そのことについて簡単に検証していくという作業を行うことができる、更に思索を加えるということを、今、この早朝に行なっていく、そのようなサイクルが可能なのではないかと思う、本を読んでいく、或いは、人の話を聞いていくということにしても、そのときどきにおいて、自分の感じているところがある、今までも、その感じているところのことを表現していくということをしていた、確かにそのようなことをしてきたと思う、それを仮説ということに置き換えていく、仮説として捉えていく、その多くのこと、午前中の時間、或いは、午後、その仮説を集めていく、いろんなものに触れていくことによって、仮説を立てていく、些細なことでもいい、そのような場での思いつき、それを仮説として立てていく、そして、そのことを夜の時間に検証していく、そして、絞っていく、そのことについて、第一段の選考の後の仮説について、今、更に検証をしていくということをする、そのことが自己を表現するということになっていくと思う、北のついてのシナリオ、それも一つの仮説に基づいていること、そして、いろんな出来事を一連のこととして解釈できるのではないかという、そのようなこと、でも、牽強付会ということに落ちっているのかもしれない、そのような恐れはある、そう、そのようなことはある、でも、そのようなことであっても、仮説は仮説として、その、思索することはできるとしても、その正しさが証明されるのは、もう少し先のことになるのか、或いは、そのようなことは起こらなかったということになるのか、そのことによって決定されていく、その本、今読んでいる本、このような内容だったのかと、今読み進んでいるところのこと、そのことが記憶から抜け落ちている、前に一度読んでいたはずであるのに、今の場面の内容は覚えていない、残虐な場面の、読みながら、映像感覚を伴ってくるような、そんなところのこと、そう、旋律を覚えるという、それ以上のこと、暴力的なこと、そのようなところへ踏み込んでいく、人間性ということを理解していく為には、そのことについてのことが、どうしても落とせない、目を瞑る、目を背ける、そんなふうになってしまうが、でも、根源的なこととして、そのようなことが在る、多分、西洋では竜を退治するとか、或いは、英雄の物語として語られるところのこと、でも、実際は、それにしても、残虐な内容のことには変わりがない、そう、そのように思う、これも一つの仮説。