『大乗仏典』

saikaku2006-06-24

一冊の本を読み終える、そのことに目的があったような今までの読書の仕方を改めていく、兎に角、一冊の本を一気呵成に読み終える、そのような気概を持っていたのではないかと思う、それを改めていく、本を読んでいくことの目的は何かといえば、このように書いていくこと、自己を表現すること、如何に多くのことを、如何に深くにあるところのことを表現することができるのかということにあると、そう思う、一冊の本を読み終えることに意味があるのではなくて、如何に、その本から、今手にしている本から多くのことを学んでいくのかという、そのことに意味があると思う、当たり前といえば当たり前のことだと思う、そして、そのようなことを続けていくことにおいて、その、自己について、深化ということを図っていく、そして、そのことの顕現するところは、人の話を聞くという場面において、ただ、相手の言葉、発している言葉、それを理解していこうとするのではなくて、それ以外のところ、非言語的なところ、それからの声、それを聴いていくということにある、そのようなことだと思う、そのことを通して、言語的なところプラス非言語的なところ、それを併せて、相手の人間性と言うことを理解していくこと、机の上に投げ出された一部のパンフレット、その置き方、それがヒントになっていたのだろうかと、その内容のところのことを望んでいるのではないかという、そんな声が聴こえて来ている、まあ、そのようなことがあると思う、ただ言葉で聞いているところのこと以外のところ、結構、そんなところのことから、多くのことを受け取っていると思う、会議の席で司会をする、その流れを決めていく、区切りを入れていく、話を一つのテーマに絞り込んでいく、もしそのようなことをしなければ、とりとめもなく論議が拡散していってしまう、そして、ただのお喋り、世間話、そんなことに落ちていってしまう、そのことを止めていく、今は、何についてのことを論議しているのか、絶えず、そのことを発信していく、そのようなこと、それも、単に、言葉のことだけではなくて、いろいろなサイン、それを送りながらのことになっていく、確かに、そのことも伝わっていたと、そう感じる、そのようなこと、一冊の本を読み終えればいいという、そのようなことも、行き着くところは、その本を読み終えたという、そんなことの見栄、それになっていく、本を読む、その本を読む、その本から何かを得ていくということではなくなっている、相手からのこと、その話を聞いていく、そして、もっといろいろなことを受け留めていく、そのようなこともできるんだと、人の話を聞くことが、終わり、ということにはならないように、一冊の本を読んでいくということも、終わりということに、そんなことにしてはいけないという、そのように感じる。