『さんさん録』

saikaku2006-06-23

自分で判断することができなくなっているのだろうかと、或いは、管理職の管理能力の問題なのか、と、それぞれが本来行うべき、行っていて当然のことが等閑にされてしまっている、それぞれの部署における仕事のこと、もう済まされている、そして、その結果について、これからどうして行くのかという判断を求めていくはずのところが、その前段階のことが済まされていない、どうしましょうかと来る、そんなふうに、会議は混乱してしまう、事実関係を把握する、そして、その事実についてどう判断していくのか、解釈していくのか、そして、何を目的としてこれから行動していくのか、その論点についての話、それが混沌としてしまっている、時間だけが過ぎていく、無為の内に過ぎていく、踊っているほどのことではないが、でも、筋道ということがはっきりとしていない、ただ、個々の思っているところのこと、自分はこう思っている、こんなことだったんだと、そう、そのようなことを延々と喋っている、まあ、そのようなこと、問題の根は深い、のか、或いは、浅いのか、単純なのかと、そんなことを思う、ただ、私自身は、どうしていくのかと、でも、もう答は出ている、自分だけで進んでいく、どうしていけばいいのか、別に、他者を非難しても始まらない、個々の成員が自分自身で気づいていくしか、事態を立て直していくことはできないのだろうと、何か、その、出来ていると、そのように見えてくるところのこと、自分自身ができないと、関わっていくことができないと、そのように思い込んでいる、ただ、喋繰ることはできる、そう、それだけはできる、時間を無駄に費やすことはできる、それで、何かを行ったという、そんなことはできる、でも、実際にはできないと、こう書いているだけでも、まあ、批判していることになっているが、私は、こうはならない、先へ進んでいく、私には、私に遣るべきところのことがある、できるところのことがある、それでいいと、そのような方向へ進んでいく、そんなことでいいと思う、まあ、そんなことになっていく、自分の判断で進んでいく、まあ、何か、そんなことができるように、どうしていけばいいのか、どのようなことを行っていくことができるのか、何か、まあ、そんなことも、内側の声として、自己からの声として、聴こえるようになっているのかどうか、そんなことになっている、まあ、そのようなことでいいのではないかと思う、ただ、そのようなことの訓練、それを日々怠らず、怠らず、更に、だんだんと進んでいくということで、そのようなことでいいのではないかと、そして、個々の成員の動き、それも透けて見えてしまっている。