『「多動性障害」児』

saikaku2006-12-07

その、調子がよく行っているという、そんなときに限って、波乱要因が生じてきている、そして、そのことが混乱していくという素になっている、そう、そんなことを繰り返している、読むことと書くこと、そのことのバランスがとれていけばいいのだと思うが、なかなか、時間的なこともそうだが、でも、時間配分を等しくしていけば解決するということでもなくて、そのバランスをとっていくこと、十分に話を聞いていく、また読んでいく、或いは、受け容れていく、そして、そのときどきにおいて感じているところのことについて、そのことについて、表現していくことをしていく、その2つのことのバランスをとっていくということ、そう、出来るのかどうかということがある、どこかで、その、調節弁の働きをする、そんな時間が必要なのかもしれないと、融通できる、そんな時間が必要なのかもしれないと思う、とすれば、今の、昼の、この時間ということになっていくのかと、そう、人の話を聞いていくこと、そのようなことへ進んでいる、垣根を越えて、頑丈な垣根、それを越えて話を聞き行っている、そう、そんなことをしている、相手のことを理解していくということ、まあ、そんなことでいいのだと思う、相手がどのような人間であるのか、どんなことを好んでいるのか、自分とは違っているところのこと、そう、シベリウス、「フィンランディア」しか知らない、でも、その、晩年の、「タピオラ」、そのような曲もあると、そう、そして、そのことに怖さを、或いは、畏敬の念ということなのかと、それを感じているということ、そんなことを知る、そう、そのような人間がいるということを知っていく、まあ、そんなこと、それを始めていくということ、そして、そのことは、私自身のこととして、その、垣根の内にいる人に、そのようなことを伝えていくということもなくて、ただ、自分だけのことに、そんなことにしていく、それでいいと思う、守秘義務ということでもなくて、ただ、まあ、自分だけのこととして、そんなことになっていくと思う、そう、さまざまなところのこと、そう、人とのこと、そのことをだんだんと広げていくこと、量的なことだけではなくて、その、質的な面においても、そのような方向性を確かなことにしていく。