『若者はなぜ3年でやめるのか?』

saikaku2006-12-06

表現するところ、また、話を聞いていくところ、その焦点となるのは、感情について、そのことはカウンセリングをしていくときの、その基本的なところ、その、普段の会話とカウンセリングの違いは、その、感情の部分に集中していくのかどうかということ、そのことがある、今、此処に書くということにおいても、自分自身に付いて、その、感情のところ、どんなこと、昨日の出来事をお浚いする、そのときどきにおいて、どのような感情を抱いていたのか、そのことを思い出していく、その、少し埋もれかけている、そんなところの感情を掘り起こしていくということが、そのことが、今、このように書いている作業の意味だと思う、その、子どもの頃のこと、昔々のこと、そう、そのことにおいても、感情というものが、もっと深く埋もれている、そんなこともあると思う、それも、出来れば、その、地中に隠れている石を掘り起こしていくように、その感情を表現していくこと、何か、そのようなところを持っていること、子どもの部分を持っているという、そんな言い方も出来る、そう、そのようなところが隠されている、誰にしても、そのようなところのこと、少しずつ、そう、そんなところのことを掘り起こしていく、そう、多分、そのようなことを少しずつでもしていかないと、その、相手の感情そのもの、それを受け留めていくことが出来ないという、そんなことになっていく、往々にして、普段の会話においては、相手の感情を受け留めていくことを避けている、自然と避けている、そう、痛みを伴っていることであれば、特に、病院へ行ったのかという、そのように避けていく、まあ、そんなところのこと、相手の感情を、まともに受け留めていける、そのようなことが、まあ、度新という感じではなくて、まともであっても、まあ、ふんわりと、そんなに直球で来なくても、そう、受け留められる、そんなことになっていけばいいと思う、その為のこととして、自分自身のこと、埋もれているところのこと、自分自身のことに付いては、そう、自分の仕事としてある、此処まで書いてきて、何か、その、庭仕事で、石を、埋もれている石を掘り出していることも、そう、同じことを、実際にしているんだと、そう、そんなことを感じる、生活に一貫性があると、そう、そんなふうに自負できる感じもしている。