『LDとADHD』

saikaku2006-12-11

何か、この方向での勉強を始めている、そのようなことになっている、始まりは、去年の夏休みからのことだと思う、そのときの研修会において、特別支援教育ということが始まっていることを知ったと思う、そして、だんだんと、その方向へ、また、今までに勉強してきたことが、何か、そのことへ収斂していくような、集積されていくような、そんな感じを持っている、今までのことが、そのことの中で役立っていけるのではないかという、そう、そんな気がしている、また、それは、今までの、というか、今も行われている教育の中身を、それを変更していく、或いは、変革していくような、そんな機運を持っているように思う、一方的なこととして、教育ということが、教えて込むということ、或いは、指導していくということが行われてきた、或いは、時代の要請ということがあったのかもしれない、時代というか、企業からの要請というか、そんなところのこと、それが外れて来ている、そのようなことになっている、外れて来ている、そして、本来の教育のあり方ということが、そのことが、今、求められていくという、教育の、その本質的なところのこと、他からの要請、他の依存していくということではなくて、或いは、まだ、学歴社会からの、その幻想が残っているのかもしれないが、そのようなことからも離れていくこと、そう、そして、まっすぐに、その、子供に、或いは、生徒に向かい合っていくということ、そのようなこと、何が求められているのか、その、相手からの希望、期待、それに直接に関わっていくという、そう、そんなところのことがある、そう、それが大事なことなんだと思う、そのようなこと、LDについて知る、或いは、ADHDについて知っていく、そして、自閉症とか、そのようなことについて知っていくこと、そして、不思議に思うのは、それが、特別なことなのではなくて、その、自分自身の内にも、共通するところのことが、そのことがあるということに気づいていく、まあ、そのようなこと、特別なことではなくて、自分も関連しているところのこととして、自己理解ということも含めて、その、支援教育ということが、それが始まっていくと思う、そう、何か、そのようなことの中に、いろんなことの可能性ということが、それがあると思う、まあ、その方向へ進んでいく。