『中村さんちの志穂ちゃんは』

saikaku2006-12-13

他者を理解していくこと、或いは、それが大きくなれば、異文化を理解していくということになっていくと思う、先ず、基本的なこととして、他者を理解していくこと、そのことから始めていく、その、他者のことを受け容れていくということ、或いは、その話を聞いていくこと、聞き容れていくこと、そのようなことから始めていく、そう、そのことが、世界情勢ということを見てみても、そのことが、今、非常に大事なことになっていると思う、自国の利益のために、資源の争奪戦をしているような、そのようなことにもなっている、その、他者との関係、或いは、他国との関連ということ、そして、その、共生していくということ、でも、共生という言葉には、その、肩を並べてという、そんな雰囲気がある、そのようなことでなくても、その、違う方向を向いていても、相手のことを理解しているということ、そして、そのことことから、その異質なところのことからも、学んでいけるということ、その、直線的な生き方ということではなくて、何か、平面的な、或いは、立体的な、そんな高次元の生き方という、そんなこともあるのではないかという、そんなことを感じる、何か、今、個人的なことにしても、或いは、社会的なことにしても、世界的な領域においても、新しい生き方の提示、或いは、新しい哲学の構築ということが、そんなことが必要とされていると思う、その、お互いに違っていることとして、一人ひとり、その、異質性ということを保持したまま、そう、そんなことのまま、学んでいくこと、そして、そのことによって、自己理解ということについても、3次元的な、或いは、もう加えてしまおう、時間も含めての、4次元的なこととして、自己理解を深めていくこと、そんなことも出来るのではないかと思う、そのようなこと、その、自分自身の内にも、自閉的な傾向があるということ、或いは、多動としての傾向も含まれているということ、そのようなこと、此処までという、そんな線引きは出来ないのだということもある、まあ、何か、自分自身のこと、自己からのこととして、根本的に、そう、本当に、根本的に変革していくという、そんなことになっていくと思う、まあ、少しずつ。