「今年をどのような年に」

saikaku2008-01-03

今までのことを総括していえば、4つの道を通して、自己の可能性を展開していくことになる。一つにはもっと多くの本を読んでいく。そして纏まった文章を書いていく。多分このことが中心的なところを占める。文章を書くことは満更嫌いなわけじゃない。でも本格的に纏まったものを書こうとすれば時間が掛かる。書いては寝かせ寝かせては書きということを繰り返す。多少の時間を掛けても、文章を書くことを通して自分の渾沌とした想いを纏めていく。だからまたこれをきちんと始める。二つめには、書ということになるのだろうか。更にこれは二つに分かれる。その一つ目は、昨年偶然事から始めることになってしまった、また自分でも何か才能があるのではないかと自惚れてしまった、篆刻。過去のいろいろな作品を見ることも好き。また日常の些細なところに散見される篆刻を発見することも好き。そしてその刻し方を眺める。直線的に刻されている線筋を見ると気分がいい。自分も遣ってみたいと思う。その二つ目は、習字。これは本物になるのかどうか。篆刻を活かすような習字であればいいと思う。本当は逆か。今は、観峰先生の手本に従っていく、自分の思い込みを忘れることに徹する。自分を壊していくことに徹する。そのことを試練として、字の形を求めていく。その二つ。最後の一つは、数学の問題を解いていく。これもやはり棄て難い。自己を表現していく一方法だと思う。数学或いは物理に関する問題を考えていく。四次元時空間をただリーマン幾何学的に表現していくだけではなくて、何かそれは違う。それも一つのことかもしれないが、また別のことも考えていく。その意味するところのことを考えていく。唯、問題とするところは、何処まで進めていけるのか、自己の展開可能性にある。何処からスターとするのか、何処からでもいい、当然非常識的なところからスタートする。唯、何処までも続いていけること、そのところに真実性を感じる。ゴールがあれば、もうそれは終わったということになる。でも何処かに未解決の問題が残されていればまた生き返る。その4つの道を進んでいくことになるのだろうと思う。今年だけではなくて、今年から始まることとして。