ライブドアの前の名前は?

saikaku2005-03-24

確か、今のライブドアは、旧ライブドアを買収だったかして、その名前を遣っていると思う。前の名前はなんだったのだろうかと、そのことを気になっている。そのようなことから一日が始まっている。そして、その、もう一つ、この夏から少しずつお遍路さんを始めようかと計画している。そのために歩くこと、少し遠い距離でも歩くこと、そのことを習慣づけていこうではないかと思う。何か、だんだんと、この日記を書き始めたこと、公開しているというほどのことでもないが、そう、このように書き始めたこと、この時間に書いていこうかと、そのように、先ず決めているが、どうなるのか、どう、どうなっていくのか、でも、まあ、少しずつ、今の生活のありようということを変えていく、少しずつ変えていく、そんなことを考えている。そして、デジカメで、いろんな風景、歩くことによって見えて来る、その風景を撮っていこうかと思う。そのようなこと、そして、それを掲載していくこと、こんなことも考えている。昔読んだ小説の中に、自動車で行くよりも、交通機関を使っていくよりも、歩くことがいちばん遠くまで行けるとあった、本当にそう思う。宮本常一さんも層だった。歩くこと、それは、唯、距離的に遠くまでいけるということだけではなくて、その、光景を眺めていくこと、また、そのことから、一木一草から感じられること、或いは、一本の樹との対話から感じられること、そんなことを考えていくと、その、精神的な意味においても、心の底へ、深く入っていくことになると思う。歩くことの効用は、そんなところにもあるのではないかと思う。歩き続けていく、また、このように書き続けていく、そう、続けていくことが、この過程が、何処か、その、垂直方向への移動を可能にしていくのではないかと思う。その、違った次元への移行ということができていくのではないかと思う。自分自身の中で、その、いろんなことを始めていく。昨晩は、『青春デンデケデケデケ』というビデオを再び観ていた。これは、大林宣彦監督作品の中でもいちばん好きなもの。このような時代だったんだと、そう、そんなことを感じていた。テンポよく物事が進んでいく、そのようなこと、物事が進んでいく、そして、グループができていく、一つのことに向かっていくこと、一つの目的に進んで行くこと、そのことが快い。文化祭でのこと、その演奏が終焉になっている。そのことへ向かっていく、そのような生き方をしていくことが、何か、その時代には特長だったのではないかと、そんなことを感じていた。先週、『理由』も観た。よく似た出演者だったと、でも、何か、その、人物描写、そのことがよくわからなかった。毎晩、一つの作品を見ていくことが、そのこともできていくのではないかと思う。そんなことも、これからのこととして、継続していくこととして、計画していく。何か、その、充実していくこと、一日一日が充実していくこと、そんなことになっていきたい。