だんだん纏まってくる

saikaku2005-03-28

どのような構成にしようかと、どのように全体を造っていくのか、そのことを考えている。真剣に考えているということでもなくて、折に触れて、どうしようか、どうしようかと、思いつくこと、そんなことを書き出してみたりもしている。そんなこともしている。でも、今までのこと、纏まりがつかなくて、いろんな案が去来していたこともあって、そう、そんな混沌としていた状態、でも、だんだんと、このところが不思議に思うところで、だんだんと、その、先送りしているということでもないが、慌てずに、その、全体のことを思案していると、そのプランが纏まってきている。そう、それは、本当に不思議なことだと思う。そして、そのことに基づいて、もう後は行動していくだけという、そんなことに、気概を持って行動していくということになっていく。でも、後は、一直線、ということでもない。その都度修正をしていきながら、自己の感じているところのことについて、そう、そのことを付加していくように、だんだんと、その全体像を纏めていく。何か、そのような生き方をしていること、本当に慌てずに、また、今までのこと、思い込んでいるところのこと、そのことを押し通していく、絶対にそのことをするんだと、今までのように、そのことを墨守していくんだとか、そんなことでもなくて、その都度、何か、自己の気持ちに沿うところのこと、また人の話を受け容れていくこと、そんなことをしていきながら、その、全体のことを纏めていく、そんなことが、今、いちばん愉しいことと思える。そんなことになっている。『父、帰る』という映画を観た。多くの雨のシーンが印象に残っている。そして、どのようなことが起こっているのか、どうして父が突然帰ってきたのか、何を探していたのか、そのこと、何を掘り出したのか、そんな説明も全然無くて、何か、そのように、父親の存在というのは、子供にとっても、その、わからないところを抱えた、そんな抽象的な存在なのかと、そんなことも感じていた。本当に実在したのかどうか、でも、何か、森の中での生活の仕方、泥濘からの車の脱出方法、そんなことの知恵、それを伝えていくということがあるとしても、父親という存在、それはどのような存在なのかと、そんなことを考えさせられる、そんな映画だった。そして、その、撮影後、兄役の若い俳優が、その湖で事故死したことを知って、何か、その映画、恐ろしいところ、そんなことを秘めていたと、思い返したりもしていた。水辺というのは、何か、無意識的なところがあって、そう、引き込まれていくという、そんなことを感じさせる。何か、ズシンと来る、そんな映画だった。新しいものを創造していく。自己からのこととして、そう、嘘偽りなく、心の底へ降りていく。