イメージの世界

saikaku2005-04-04

少しずつ形になっていくことが面白い。話し合っていくこと、意思の疎通ということ、そのことを多くもっていくこと、そのことによって、相手の言うところのこと、そんなことを受け容れていくこと、また、自分の感じているところのことを伝えていくこと、その、自分の思い、曖昧なところを残すことなく、その、何か、少しでも気に掛かっているところのこと、そのことも言葉にしていくこと、そして、相手との共通理解、それを深めていくことが、その、表現するところのこと、相手に確かに伝えていくということだけではなくて、自分自身のためにも、自分自身にとっても曖昧なところ、そのようなことを確かめていくこと、そんなことが大事なことなのではないかと思う。そう、確かなことにしていくこと、表現力をつけていくこと、そのようなことが大事なことなのだと思う。組織としてのこと、そのことがある。意思の疎通、それを図っていくこと、そんなことになっていくこと、そのことによって、その、自分自身のこと、その深部に隠れていくもの、その物を明らかにしていくことが、そのことが大事なことなのだと思う。そんなことによって、潜在的な能力、それが顕れて来るということになっていく。・・・何か、此処へは、まだまだ、抽象的なことしか書いていない。具体的なこと、そのことは書いていない。その、自分のことについて、自己のことについて、どれだけのことを書いていくことができるのか、そのことが大事なことなのではないかと思う。そう、そのことが大事なことなんだと思う。何処まで、このように、無意識的なこととして、抽象の世界、或いは、イメージの世界、その世界のこととして、そう、そのことを表現していくことをしていく。できるところまで。と言いながら、『きみに読む物語』を観た。静かな始まり、でも、何か、そのテンポが速すぎる。その心の変化、そのことはや過ぎて、そのことが自分の内にしっとりと来るまでのことではなくて、先に進んでいってしまう。また、お母さんの方も、昔、同じような経験をしていたという、そんなことを告白する場面では、何か、しらけてしまった。そんなことなら、もう少し、理解を深めていくことも、それまでにいろんなことを話し合っていくことも可能なことだったのではないかと、そんなことを感じていた。でも、まあ、何か、老後のこと、そのとき、どのような人生を送っていくのか、統合期、どのように自分の人生を纏めていくのか、そのこと、本当の生き方、そのことを、自己に沿っていく、そんな生き方、それを纏めていくこと、そのような生き方ができるのかどうか、纏めていくことの必要性、そんなことを思っていた。その、何処まで、自己のこと、それを表現していけるのか、そのことが、いちばん、大事なこと。