『諦めない』

saikaku2005-04-07

昼前、NHKラジオで『諦めない』の朗読を聴いていました。その中で、アルコール依存症に人には、呑み出すと何をするか分からなく怖いから、家族は勿論のこと、ペットも寄り付かない、って言ってました。それを聴いていて、私が、TVを見ながら呑んでいると、猫が寄ってきます。まあ、それは、おつまみとしている刺身を狙ってのことなのですが、真ん前にちょこんと座ってきます。それを見て、刺身を少し遣ったりもしているのが、習慣化されたのではないかと思います。もし、その、ペットも寄り付かなくなってしまったら、そう、終わりでしょう。でも、もう、そこまでいかないのではないかと思います。依存していくこと、そのことは、人間にとって重大事に思えてきています。逆に、依存症に、アルコールということでなくても、依存症にならなかった人のこと、その人の方に関心を持ってしまいます。依存していくことを是認するということではないのですが、そのことの方が、当たり前、人間として普通のことのように思えてきます。自分の思い、感じているところのことを分かち合っていくこと、或いは、そのような自助グループ、そんな中で、自分のこと、それを語っていくこと、何か、そのことが、自分のこととして、その、相手に気にいられる、そんなことを気にすることなく、その、自分の話、それを聴いてもらえるということで、そんなことが、自分だけでも、前へ進んでいける、そんな気持ちを齎している、そんなふうに思えます。自分からのこととして、その、何か、自分が愉しみとして生活していけること、そんなこと、単に趣味といってしまえることなのか、それ以上に深いことなのか、そんなモノを、自分のために見つけていくこと、そんなことが大事なこと、そう、人生において、何時、そのこと、つまり、自立すること、そのことが起こるのだろうかと、その気持ちの切り替えが起こるのだろうかと、そんなことを疑問に思う。本を読むこと、そして、その、気に入ったところのことを、その文章をメモしていく。その後、一日置いて、そのことがどんなことなのか、自己に、どんな影響を与えていたのか、そのことについて書いていくこと、乱雑に書いていくこと、そんなこと、或いは、アイデアとして、そのようなことを書きなぐっていく、そんなことをしている。そして、自分の内に、これだけのこと、その、誰かに気を遣うということなんかではなくて、あくまでも、自分自身のこととして、そう、自己からのこととして、その思いを書き出していくこと、そのことによって、自分の内にこれだけ多くのことが眠っていたのかという、そのことが、嬉しいことのように、唯、自分にとって愉しいことのように思える。そして、そのことを、実現していくという、次の過程に入っていく。