巧くいっている。

saikaku2005-04-08

今のところ、巧くいっていると思う。いっていると思う。その、自分の感じているところのこと、人間の思考方法、その道筋、それは乱雑なモノになっている。それが当たり前のことにように、いろいろなところへ思考が飛んでいく。それが当たり前のこと、そのことを一つの文章に表していくこと、今までしていたのが、今、此処で、文章を作っているということにしても、このことも、そ、人間の思考の道筋には反している、と思う。あっちこっち飛びながら、いろんなことを並列し公的に考えいている、そんなことを、書くことにおいても、反映していくこと、そんなことができたとしても、それは、文脈に乱れた、どうにも読みにくい、そんな文章になってしまう。メモ書きであれば、まあ、乱雑に、書きなぐっていくということであって、そのようなことであって、そう、何か、そのような書き方のほうが、その、自分の考えていることが、同時進行的に、並列的に、処理されていく、そんな気がする。そして、自分の考えているところのことも、そのことも深められていく、アイデアが湧いて来る、そんなことになっている。自分の精神生活、それが、愉しいことになっている、何処まで、このことが続いていくのか分からないが、そう、分からないが、でも、今は、このようなことが愉しいことになっている。酒を呑むこと、その楽しさから離れていけるのかどうか、そのことが大事なこと、自分の内からのこととして、その、自己の内に、生きていくことの基盤をもっていくこと、そして、その土台の上で、自分の状態が安定している、そう思えるような状態において、他の意見を受け容れていくこと、そんなことができていけばいいのではないかと思う。自分を変えていくこと、酒を呑むということに、或いは、誰かに依存していくということではなくて、依存するということは、その対象としているモノに対して、自分の立場、それを決めていくことになっている。そのことに安心感を得ていく。そんなことなのだと思う。そのようなことよりも、自己の内に、自分自身の内に、その、生きていくことの愉しさ、その基盤を見つけていくこと、そのようなこと、そんな生き方ができていけばいいのではないかと思う。自分のこと、或いは、人間の思考方法、それがどんなことなのか、脳科学が明らかにしていることも、そのことを知っていくことも大事なことと思う。また、実際、その脳を掲げもっている自分自身のこと、そのこと、自分が、その、自己がどうなのか、そのことを、自己から学んでいくという、そんなこともあるのではないかと思う。そのようなことになっていくのではないかと思う。