桜の花が咲く

saikaku2005-04-11

自分で植えた桜の花が咲いた。庭に、ホンの少し桜の花が咲いた。万輪の桜の花にも匹敵するように感じている。そのようなこと、今年の春は特別はことになっている。そして、他にも咲いている桜、何か、そのことも気に掛かっている。山の中に一本だけ咲いている桜とか、切られてしまった公園の桜にも、その脇に残っていた枝に、少しの桜が咲いているを見ると、嬉しくなってしまう。そして、同じように植えた桃の花も咲いていた。そう、しっかりと生きていること、そのことが分かった。自分で植えたものの、しっかりと定着しているのかどうか、そのことを心配していたが、大丈夫だった。そんなことだった。そして、庭に、いろんな花の種を混合して、ワイルドフラワーという缶詰があるそうだが、まあ、いろんな花の種、それを買ってきて、自分の混ぜて播いた。どのようなことになっていくのか、そのことを愉しみにしている。庭の草をとっていくのも、雑草とはいいながら、何か、それぞれにも個性、草の個性というものがあって、面白い。夏までに備えて、もう去年のようには雑草の天下にしない為に、少しずつ引き抜いていく。何か、その、庭に対してのプラン、そんなことができてきていて、それに従って、本当は、もっと本で勉強して、肥料を遣りすぎていかないようにとか、水のこととか、多くのことを知っていかなくてはいけないが、でも、まあ、いいではないかと、ぶっつけ本番というか、その、相手の草花、木の成長、それを見て行きながら、まだまだ、その、対話ができるというところまではいかないが、その、草木の様子を見ていきながら、自分が何をしていけるのか、何をしてもらいたがっているのか、何か、そのことを感じていけばいいのではないかと、そんなこと、まあ、失敗してしまうかも知れないが、そうなってもいいかと、自分の感性を養っていくということで、そのことで、その、本から仕入れた知識、それを教えて込んでいくということではなくて、実際の場から、その、相手のことから、自分のことも、その、自分も成長していくような、そんなことを願いながら、そう、そのようなこととして育てていくこと、自分も育っていくということになっていくのだと思う。今、急激に変わっている。世間の様相が、大きく変わっていっている。全体に色彩的に豊かな、そんな季節が巡って来ている。そのようなときにおいて、自分自身も、その在り方ということを、生活の仕方ということを、そのことを替えていく。内からのこととして、変化ということ、結局は、そう、外から与えられるということではなくて、内から、種子から芽が出てくるように、内から、その発芽していく、そして、生育していく、それが変化の原状ではないかと思う。勘違いしないように。