『モンタナの風に抱かれて』

saikaku2005-04-14

という映画があって、この映画がいちばん印象に残っている。何回もビデオで観ている。その度に、何か得るところ、こんなところがあったのかという、そういう驚き、それに満たされている。いちばん好きな場面、水浴びさせていた馬が、携帯の音に驚いて逃げ出していく、でも、直ぐに追わず、ゆっくりと歩いて後をついて行く。そして、草原にいた馬から、遠く離れたところで、じっと馬の様子を眺めている。じっと待っている。風が緩やかに吹いている。日の光もだんだんと傾いていく。そんなとき、馬が、静かに、ゆっくりを、様子を伺うように、相手が信じられる相手なのかどうか、そのことを確かめるように、少しずつ近づいて来る、その場面がいちばん好きだ。木材を満載したトラックに轢かれて、友達を、自分の足を失ってしまう。そのこと、失ってしまうもの、そのこと、そして、その状態を、自分自身の内にだんだんと受け容れていく、そのこと、馬も傷ついている、その状態をだんだんと受け容れていく、その過程が、でも、ストレートなことではなくて、何か、映像にはとても映し切れないところで、ものごとが進展していく、静かにその様相を変えていく。馬次第、でもあるし、その、人の心次第、それがどのようなことになっていくのか、そのことはわからない。友達の死ということ、そのことを受け容れていくことだけにしても、そう、長い道程が掛かる。長い道を歩いていくように、だんだんと、それを直面できるように、でも、なかなかそのようなことにはならなくて、でも、いつか、きっと、そのことが、自分の心の内に納まる、そんなことになっていけば、そう、自分の心の内で生きていく、心のうちで生きていくしかないという、そんなことになっていけば、心の内に納まっていけば、そう、いいと思う。でも、長い巡礼の道程と、周りの人の支援、或いは、魂の声も聴くことができる人の存在、そのことが欠かせない。静かにそのようなことが起こっている。でも、本当に、難しいことだと、そう思う。でも、人間には、そのようなところのこと、そのレベルで感応していくこともできる。そんな能力というのか、潜在的なモノを持っているのではないかと思う。自分自身のこと、一つひとつのこと、今までのことにしても、何を感じていたのか、そのことを表していくこと、一つひとつのこと、そのことをきちんと、自分の心の状態を、そのことをきちんと表していくこと、そのように生活していきたいと思う。そう、そのようなこと、そのときどきにおいて、どんなことを感じていたのか、そのことを表していきたいと思う。静かに話を聞いていくこと、そのことが、結局は、自己の声を聴いているような、見ているところのモノが、結局は、自己を観ているような、そんなことになっていくように、そのように願っている。