再度、『Horse Whisperer』

saikaku2005-04-15

昨日、また、観ている。最初の場面、砂漠を馬が疾駆している場面、あれは何だったのかと思っていたが、昨日観ていて、そうか、女の子が夢を見ている、その夢の内容だったのだと思った。荒涼とした砂漠を駆けて行く、そのようなことが続く、そして、最後の方で、誰かが乗っている、そのようなことになったいた。その、人生というのは、どのようなものなのだろうかと、そのことを不思議に思う。それぞれの生き方のこと、自分自身の生き方のこと、そのことが、暗黙のうちに、誰かの生き方をなぞっているとか、誰かの生き方の、その分身的な生き方をしているとか、そんなことになっているのではないかと思う。そのようなこと、人間の心理的なこと、それがどのようなこととして動いていくのか、そのこともよくわからない。何か、考えていけば行くほど、その、考える、人間の頭で思考する、そんなことでは巧くいかないのではないかと思う。何か、その、わからないもの、そんなモノに従っているのではないかと思う。そう、そんなことになっているのではないかと思う。そう、そのようなことになっている。そんなことになっていく。自分のこととして、そのこととして、生き方のこと、そして、人間関係の在り方のこと、どのような生き方をしていくことが、そのことがいいのか、いい悪いということでも判断できないことになっている。どのように行っていくのか。その、人間関係において、或いは、馬との関係ということにおいても、魂の触れ合いというか、そのところまで、その、表面的なことではなくて、深層心理のレベルにおいて、その関係性を維持していけること、そんなことが、何か、新しい創造性ということが齎されてくるのではないかと思う。そんなことを考えている。唯、そのビデオを観ていくことにおいても、一つひとつの情景、厚い雲が垂れ込めているとか、そんなことにおいても、その道中のこと、母娘の道中において、雪山を超えていくという経験、お互いのこと、そのことにおいても、それぞれの人生に、その過程が齎していくところのこと、そのこと、なんなのだろうかと。そのことを言葉で表現していくことができなくても、そのことから派生してくるところのことに、何かあるのではないかと思う。その、基本的に、どんなことになっているのか、異次元からのことのようにも思える。そのようなことを相手にしていくこと、そのことから影響されていくところのこと、そのことを基にして、生き方のことについて考えていくこと、それが大事なことだと分かっていても、どのような手立て、それがあるのかと、どのようにヒントを得ていけばいいのか、唯、創造していくこと、でも、何か、立ち直っていくという過程において、一瞬のことにしても、魂の存在がある。