もう一歩の進化を。

saikaku2005-04-19

本を読んでいくことをしていく。今までは、その、多くの本、ノンジャンルという感じて本を読んできたと思う。手当たり次第というほどのことでもないが、自分の気に入った本、とは言いながら、書評に影響されていたところもあったのではないかと思う。芥川賞の本を読まなくなったのはいつからのことだったのだろうか。自分の好みの本、でも、多くの本を読んでいくということが、何か、価値のあることに、そんなことに思えていた。そう、そんな風に思えている。今でも、そのようなことを考えている。でも、何となく、この頃、そうもいかなくなってきた。何でも読めるということではなくなってきた。そう、何か、そのことについても、書くということを読むということ、このように書くということをしているから、多くのことを書いているから、自分の心の内を整理しているから、本においても多くのモノを読んでいくことができるんだと、そのことは確かなことである、でも、何か、気持ちの上で、齟齬を感じてきている。そのようなことに問題意識を感じている。その、書くということと読むということ、そのことに分離している、そのことの問題の根があるのかと、その二兎を追っているということに問題の根があるのかと、そんなことを思っている。その、自己を表現していくことに、書くということに、そのことに集中していくということも、以前から考えていたこと、そのようなこと。そして、もう一歩進めていくために、書くということ、その、何処までも、先ずは、何処までも書き続けていくことをしていく。そう、そのようなことをしていく、そして、自己の内から、或いは、書くことに行き詰まりを感じていく、そのところまで、書き続けていく、そのことをしていけばいいのではないかと思う。そして、その、壁に当たっているということ、その状態を打開していくとき、本を読みたくなるのではないかと、そんな期待をしていく。そう、自己の内から、自然と、その、自分がテーマとするところのこと、そのことを見つけていくこと、それでいいのではないかと思う。そのような生活の送り方、それができていくのではないかと思う。とりあえず、自己を表現し続けていくこと、そのことでいいのではないかと思う。何処までも、そう、もういいということ、何も心の内にないということ、そんな状態まで書き続けていくことをしていく。世界は今、騒然として来ている。何か、その、人間の能力、そのことが問われ始めている。そんなことになっている。どのようなことになっていくのだろうかと思う。そう、でも、自己のうちを見詰めていくこと、そして、それを表現していくことに、そのことに尽きる。中国のこと、その、パンドラの箱を開けてしまったようなこと、何処まで、不満が暴力とかして噴出してくるのか、わからない。瓦解への始まりなのか。