集中できること

saikaku2005-04-20

まだ、迷いの中にある。そのことは、今、自分の生活の在り方ということを考えていくとき、根本的なこととして、切り替えていくことが、そのことが今必要なことなのではないかと思う。そのようなことを感じる。丹羽文雄さんは、生涯で10万枚の原稿用紙を書いたという、同じようなことを、私自身のこととして、その、もっと多くのこと、原稿用紙に書いているということではないが、その、自己を表現していくことに、このように書いていくことに、言語化していることに、もっと集中していくこと。そのことを基本に置いていくことが、そのことが今求められていることなのではないかと思う。本を読まなければならない、という強迫観念すら感じる。多くの本をバックにして書斎の写真に収まっている作家もいる。多くの本を読んでいくということ、そのことが、このように書いていく、自己を表現していくことの前提であると、そのことが必要条件であると、何か、そのように思い込んでいる自分がいると思う。でも、そんなことはないのではないかと、そう、だんだんと、そのように考え方を切り替えていく、そんな方向へ切り替えていくこと、それが今大事なことなんではないかと。このように書いている。何か、今、その書くテーマ、それがなくなってしまうのではないかと、枯渇してしまうのではないかと、そんなことを怯えている、そんなふうになっている。そんなふうに思っている。そう、何か、それが間違っているのではないかと。その、何もなくても、自分の内から、その、書くこと、その、書かずにはいられないこと、そんなふうに、何か、その、心の底のこと、何処まで書いていくことができるのかと。生き方のことを考えていくとき、その質問を変えて、どのように死にたいのか、死に方のこと、そのことを考えていくと、その、自己の内からのこと、そのすべてのこと、その、何もかも、それを表現し尽くしていくこと、そのことが為されてから新でいくということ、そんな死に方もできるのではないかという、そんなことも思う。唯、只管に、今は、そう、唯、只管に書いていく。集中していく。人にしても、企業にしても、或いは、国の在り方ということにしても、その、自分自身のこと、文化的なこと、或いは、今までの生き方のこと、そんなことの延長に沿って、今までのことを伸ばしていくこと、そして、行き詰まり、何か、新しい展開を考えていくこと、そのときには、その、隣国からも、世界からも、学んでいくこと、その、非難するばかりのことではなくて、責任を転嫁していくだけのことではなくて、そう、それだけのことではなくて、その事態から、学んでいくこと、その、蠢いているところのことを表現していくこと、暴力的なことではなくて、それが大事なことなんだと思う。