心の内の石

saikaku2005-04-21

今週の日曜日、妻と庭仕事をしていた。その庭には、大小の石が多くて、少し掘るだけのことで、多数の石がごろごろと出て来る。これでは木々の生長には悪いと思うので、その石を、妻は一生懸命に掘り出していた。土の中から、その、石を掘り出していくということ、その作業をしているとき、そのことが、妙に気になっていた。そのようなことがあった。生活を建て直していくということにおいて、読むということ、本を読んでいくということ、或いは、人の話を聴いていくこと、或いは、映画を観ていくということもあるが、そのようなことをしていくこと、外の世界から、何か、情報というモノを、何かを受け容れていくこと、そんなことをしている。そのようなことによって、どう何だろうか、どのようなことが起こっているのか、しかとはわからないが、心の中で、その、自己のあるものと、自己の内に下からあったものとの融合によって、何か、イメージというか、感じというか、フェルトセンスというか、そんなこと、何かが生まれていく。そして、そのことが心を重くしている。そのままでのことであれば、だんだんと心が重くなっていく。そして、そのことを忘れようとして、何か、気晴らしにと、その、酒を呑んでいったりもしている。酔い潰れるところまで呑んでいくということをしていく。そのようなこと、或いは、何かに依存していくということにもなっていく。そう、そんなことなのだと思う。だから、その、心を重くしているところのこと、だんだんと溜まっていくところのこと、そのことを外へ出していく作業、それが必要なこと、或いは、人間の仕事というのは、そのようなこと、本質的にそのようなことなのではないかと思う。そう、心の内、心の坩堝、その中で、外からのものと、内にあったものとの融合によって生じたところのもの、それは、丁度、石、土の中に隠れている石のようものではないかと思う。そんな気がする。そのこと、だから、その石を取り除いていくように、心の内のイメージ、その重くしているところのことを、それを表出していくことが、何か、人間としての、基本的な仕事、それぞれの、その表現方法を用いて、それを出していくこと、それが大事なこと、そのことを基本的なこととして、生活を建て直していくことが、そのことが、今、そう、できていきそうな気がしている。今までのこと、新しい生活が始まっていく、そのことが始まっていく。そのようなことにおいて、多くのこと、多くの石が溜まって来ている、そのような状態になっていたのだと思う。今までのことが巧くいかなくなっていたという、そんなこと。そう、自分のこととして、自己を表現していくこと、そのことを、今さら以上の求めていく。