急ぎ過ぎている。

saikaku2005-04-27

確かに急ぎ過ぎている。この日記を書くことにおいても、本を読むということにおいても、急ぎ過ぎている。何か、その、大事なことは、自分自身のこととして、どのようなことを感じているのか、そして、そのことからどのようなことを学んでいくのか、そのことにあると思う。でも、急ぎ過ぎている。何か、多くのこと、多くの本を読んでいるということ、或いは、多くのことを書いているということ、そのことに価値があるかのような、でも、そのことは、結局は、他者を意識しているということであって、そんなことであって、その、自分のことではない。他者の目を意識しているということであって、自分のこととして、自分自身が豊かになっていくということではないと思う。大事なことはそのことであるのに、その、ついつい、その、勘違いしてしまっている。どうしてもそんなことになってしまう。本を読んでいくこと、その、ソクラテスが立ち止まってでも思索を行っていたように、本を読みながら、そのときどきにおいて、何か、その、考えていかなければならないこと、或いは、自己の方からのこととして、自己の内から、その、書いていくべきこととして、何か、その、テーマが浮かんで来ているとき、そのことを言語化していくことが、そのことが大事なことなんだと思う。急がないこと、自分自身との対話、そんなこと、前にも書いていたのではないかと思う。自己との対話、そのことを繰り返していくこと、そのことが大事なことなんだと思う。何回も、同じことを書いている。また、これからも書いていく。単純に因果関係ということ、そんなことがいえなくなっている。因果関係、そんなことがあれば、物事は凄く楽に理解できるということになっていく。でも、そのようなことではなくて、いろんなことの出来事、そのことが、それらの繋がりということが錯綜している。それが現実ではないかと思う。複雑になっている。そのようなことの中で、どのようなことが起こっているのかと、そのことを理解していくのは、今までの科学的な知識ということではなくて、でも、人間の感性に基づく、そんなところの理解、全体として把握していくこと、そんなことになっていくのではないかと。個々の繋がり、そのことだけを、主としてのこと、確かに、そんな関係、それはあるのだろうと思う。それこそ、因果関係、単純な関係ということであって、でも、その関係性において見落とされているところのことも多くある。それを思う。何か、その、総体として把握していくこと、そのようなこと、理解というのか、全体として受容していくところのこと、そのようなことが大事なことなのではないかと思う。また、そのことが、人間性ということについても、その深化にも発展していく。