心のモード

saikaku2005-04-28

心の在り方、その、深層心理とか、無意識と意識とか、何か、そんなことがあるという、そのようなことなのだろうかと。何か、それとは違う心の働き、それがあるのではないかと思う。そんなことを感じる。特に、このように書いている。このことは、あくまでも自分のこととして、自己からのこととして、そう呼んでいるが、そのことが正しいのかどうか、セルフでもいいし、何か、そのようなこととして、その、内側のこととして、その、自己の声、それに従って、その、書いている。自分からのことして書いている。自己を表現している。その、自分の心の内にあること、そのことだけではなくて、その発展形ということにおいても、展開していくこと、組み立てていくようなこととして、書いている。本当に、心の内に在ったことなのか、そのこともはっきりとわからない。別の世界から来たところのことを受け留めている、そんな感じもしている。自分を超えているところのことから、そのところからのこととして、何か、イメージを受け留めているということなのではないかとおもう。そんなこと、書くということ、自己を表現していくこと、そのことは、何か、内へ内へと沈潜していくことになっている。そんなことになっていく、内向的なこととなっている。読むということ、そのこと、切り替わっている、そう、外へ外へと、だから、その二つのことを融合していく、その両者のことを同時に行なっていくことは、自分自身にとてつもない混乱を齎していくことになっている。そう、そんなことになっている。読むということ、そのこと、相手のことを理解していく。話を聞いていくこと、ただ、そのことを効いていくことだけではなくて、相手の感情ということを受け留めていくこと、そんなことをしている。そう、そのことによって、変わってくるということもある。本を読んでいくこと、そのことについて考えていくこと、でも、その、昨日書いたように、ソクラテスのように立ち止まって考えていく、そのようなこと、何か、違う。そう、違っている。そのようなことは、自分には、してはいけないことのように感じられる。読むこと、相手のことを、そのことを、その気持ちを、考えているところのことを受け容れていくこと、そんなことをしている。でも、何か、心へ落ちていくことは、そのことは、心の内側まで入り込んでいくことは、そのようなことは、あるのかどうか、何か、その、本質的なところだけ、そのことだけ入り込んでいく、そんなことなのではないかと思う。栄養素だけ、それだけが吸収される。だから、メモ書きをしながら読んでいくことは、何か、混乱を齎すことであって、無駄なことをしているのではないかと、そんなことを思う。読むときには、集中して読んでいく、そして、書くときには、暁に、書くことに没頭していく、そんなことがいいのではないかと思う。