今は、晴耕雨読。

saikaku2005-05-02

固い土地を耕している。30cmほど掘れば、その下は軟らかくなっている。そのところまで、掘り進んでいかなくてはいけないと、そして、石がごろごろと出て来る。その石を取り除いて、そして、肥料を混ぜてという、サツマイモの苗はもう買ってしまってあるのに、まだまだ植えるところにまではいかない。この連休中にできるのだろうかと、少し心配。昨日は雨。耕すことができずに、溜まっていた新聞を読んでみる。だんだんと、その生活が、理想的なモノになっていくのかと思う。だんだんと、その、思い描いていたように、そのような方向へ進んでいっている。意図的なことではなくて、ただ、でも、そうしていこうと、その、心の底で考えている、そして、そのように、自然に行動しているのではないかと思う。そして、そのことが実現していっている。まあ、このような生活、これでいいのではないかと思う。そして、気になっていること、過去からのこと、昔々、その、気になっていたことが、そのことが、今も心の中から消えていずに、思い出されてくる、そんなことになっている。そのようなことも、一つひとつ、その、気になっていること、そのことを納得させていくことにしている。そのようなことも指針の一つ。生き方のこととして、書くことと読むこと、そして、耕していくこと、でも、それも、結局は、みな同じことをしているのではないかという、そんな気がする。耕していくこと、固い土地を耕していくこと、硬い心の底を耕していくこと、同じことをしていると、そんなふうに思う。書くことにおいて、その、心の中から芽生えてくること、そのことを成育させていく。そんなこともある。そのこと、時間配分も、今は、もう関係のないことになっていっている。そのように決めていくことも、何か、守れないということを暗に示しているようで、そのようなことを決めていくこと自体、無理なことになっているのではないかという気がする。そんな気がする。もっと自由なこととして、自由に、そのときどきのこととして、自然に、その、今、自分にとって何をしていくことが必要なことなのか、今、自分は、何をすることができるのか、どのようなことが起こっているのか、そのことから、自然なこととして、自然なこととして、物事を行っていく。それでいいと思う。そんなことで、自分に負荷を掛けない。そのようにしていきたいと思う。多くのことに触れていく、そして、自己からのこと、自然なこととして、何か、即興的な、そんな生き方、そんなことになっていくのではないかと思う。何か、まだまだ、その、自分の生き方のこととして、これはという、そんな形になっていかない。決まった形になっていかない。決めていこうとすると、きっと、それを崩していくことになっていく、そんな反動が起こって来る。