愉しさの追求

saikaku2005-05-08

酒を呑むことが楽しいこと、その、酔うということが楽しいことのように、そのように思い込んでいるところがある。そのようなことがある。自分のことを、そのことを語ること、唯、自分の思い通りになっていくことが、そのようにしていくことが楽しいことと思い込んでいるところがある。でも、そのようなことが、自分のことが認められた、そう思うところのことが、本当に楽しいことであるのかどうか。そのことを疑問に思う。確かに、その場において、そのときだけのこととして、その楽しさを味わうことができるのだろう。でも、そのことに溺れてしまうと、何度でも、そのことを繰り返していくということになっていく。同じことを、口癖のように、同じことを何度でも言う、そんなことになってしまう。そのようなことでなければ、その楽しさを味わうことができないということになってしまう。酒を呑むことを、そのことを止めていこうかと、人と話をすることにおいて、そのような場面においては、酒を呑むこともあるかと思うが、でも、独りで、そして、ビデオでも観ながら、そのようなときに呑んでいくことは、止めていこうかと思う。このような形で日記を書くことを始めたこと、このこともある。自己を表現していくことで、このことに、何か、その、愉しみということを見出していく。そう、そのことを考えていく。ビデオを観るのでもいい、或いは、本を読むということでもいい、或いは、人の話を聴いていくということでもいい。そのようなこと、受け容れていくこと、自分の内に受け容れていくこと、そのことを理解していくこと、そして、そのことについて、自分がどう感じているのか、どんなことを考えているのか、そのことを書いていく。そのことを表現していく。そう、このことの愉しみということを感じていくことができれば、その、相手との対話、そのようなことによって、何か、新しいことを創造していくことができるということ、そのようなこと、お互いのこととして、そのようなことができるということ、そのことができれば、愉しいことになっていくのではないかと思う。自分だけが、その楽しさを味わっていくということではなくて、その実、相手に対して不快な感情を与えているということではなくて、自分と、また、相手にとっても、その遣り取りということにおいて、お互いが表現しているということにおいて、何か、その、新しいことになっていくこと、そのようなことが創造していけるということ、そんなことになっていけば愉しいことなのではないかと思う。自分に対して、その、ご苦労さんという、そんなことで、また、そのことを口実として、酒を呑むということになっていかないように、普段のことにおいて、愉しさを日々実感していくことが、その、大事なことなんだと思う。